九戸政実公首塚で歴史に触れる。
九戸左近将監政実首塚の特徴
豊臣秀吉に最後まで抵抗した武将、九戸政実の墓所です。
天正19年に九戸政実が開城し、戦乱が終息した歴史的な場所です。
家臣が持ち帰った九戸政実の首級を鎮めた歴史の証とされています。
南部藩在住なら知っといて損はないやろ( 'ㅅ')駐車スペースは最大3台程度?
2025年10月22日。九戸城跡を訪問した際、ガイドブックに政実公の首塚が有る事が記されて有り、存在を知った為、訪問。木立に囲まれた山の斜面に、ひっそりと建てられては居るが、近年作ったと思われる木柵には、銅板の屋根が架けられており、寄進者の心配りが伺えた他、墓石には、生花、造花、お酒類が供えられ、道路から続く参道沿いには、公の霊を慰める為か、紫陽花や桜、楓?が植えられ、現在に於いても尊崇の念を持って、環境を整えて居る方々の存在が伺えた。柵内に有る供養之碑には、公が斬首された宮城県栗駒町の史談会と記されており、公の終焉の地と成った、他県の方々の御厚意に感謝したい。
九戸氏史跡。2023年9月26日来訪。1591年の九戸政実の乱は、九戸政実ら諸将の降伏により終息。政実らは、奥州再仕置軍総大将豊臣秀次の陣所がある岩ケ崎館に護送され、上品寺(廃寺)に宿泊した後、一言の弁明も許されず、宮城県栗駒郡栗駒町稲屋敷で斬首された。政実の家臣、佐藤外記が主君の最期を見届ける為、乞食に姿を変えて、護送される政実らの後をつけ、斬首獄門された政実の首を、夜陰に乗じて持ち去り、この地に鎮めたという。長い間、村民の一部に、その存在は知られていたようで、昭和51年の発掘調査で確認されたとのこと。流石に天下に弓を引く立場となった政実を、公に埋葬する事が憚られたのでしょう。分かりにくい、寂しい場所でした。
豊臣秀吉の天下統一に最後まで抵抗した武将の墓所です。歴史好きなら訪れたい所です。歴史的に素晴らしい所ですが、場所が少し分かりづらいです。
素晴らしい岩手県人の誇りの場所ですね。
手を合わせました、無念の死に方です。しかし、その活躍と功績は何百年経っても、この地方の人々に語り継がれ光り輝いてます。
車で走行中! 山の斜面に東屋が! 何かと見てみると首塚でした。いろんな場所にいろんな歴史があるものです。
九戸左近将監政実首塚天正19年(1591)の秋、九戸政実は九戸城を開城して九戸戦乱は終息を告げた。開城した政実は浅野長政の陣に降り捕虜の身となって、相手の総大将豊臣秀次のもとに連行され、宮城県栗駒郡栗駒町稲屋敷で斬首され、その一生を閉じた。九戸家の家臣佐藤外記が、主の最後を見届けようと乞食に姿を変え一行を尾行し、斬首獄門にされた政実の首を夜陰に乗じて持ち帰り、この地に三十三駄の土で塚を築き鎮めた。
三ノ迫(宮城県栗原市)で斬首された九戸政実の首級を家臣が密かに持ち帰り、鎮めたと伝えられる場所です。駐車場などもなく、非常にわかりにくい場所にあります。
| 名前 |
九戸左近将監政実首塚 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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九戸政実の首塚とされてる 道路から山道登りすぐ 約3分 九戸神社⛩️とセットで周って欲しい。