松川地区体育館脇の巨木看板。
八丁目城跡の特徴
松川地区体育館の脇にある巨木の看板が目印です。
まつかわ西幼稚園前を通ると、道が三本分岐します。
美しく整備された環境が魅力的です。
いつの間にか、綺麗に整備されていた。旧松川小学校の横から上ると、八幡神社があった。防空壕があり、危険だから、中に入ってはいけない、と言われていた。『夕焼けの歌』や『この世界の片隅に』で、ゴミ回収する謎の男性が描かれているが、この防空壕にも、そういう男性が住んでいる、と聞いたことがある。でも、見たことがない。この時代の都市伝説だったのか?境内で、大人がお花見をする場所でもあった。道に戻って、更に上に行くと、忠魂碑(慰霊塔)があった。眺めのよい場所で、小・中学校の写生会の場所でもあった。道に戻って、更に上に行くと、愛宕神社があった。ここまで来ると、かなり高い。高所恐怖症?の私は、苦手だった。愛宕神は、「火伏せ」の神様です。大人が元朝参りをする神社でもあった。地元では、この山を「お城山」と呼んでいた。ここまでは、子ども時代の思い出。八丁目城の麓の城下町は、江戸時代、八丁目宿になり、大いに栄えたらしい。豊臣秀吉の奥州仕置きにより、伊達藩の領地が減らされたらしい。そして、この町は天領地になった、ということか。伊達家封じ、にも思われる。どなたかの投稿写真に、福島大学名誉教授の説明文があるので、そちらをご覧ください。伊達家との、深い関係が見えてきます。小学校跡を見たとき、過去の記憶も、共に消えて行くのか、と思いました。でも、これだけ記念碑を残していただくならば、忘れ去られることもないだろうと、安心しました。
まつかわ西幼稚園の前を通ると道が三本の道があります。整備されている左に行くと城跡には辿り着けません。慰霊塔までです。私は慰霊塔から道なき道を進みました。まつかわ西幼稚園を過ぎて真っ直ぐ進めば問題なく城跡に着きます。攻めにくい良い城と感じます。
名前 |
八丁目城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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松川地区体育館の脇お左に進むと巨木の看板あります。