三社お詣りの荘厳な高岡。
高岡關野神社の特徴
高岡關野神社は荘厳華麗な三社の本殿があり、拝殿から一度にお詣りできる。
御車山祭の賑わいを感じられる場所で、屋台も多く出て楽しめる。
古城公園から続く願い道があり、一緒に願い事を叶える手助けとなる神社です。
新幹線の駅が北陸線の高岡駅と市街地に掠らず、城端線で南へ一駅分のところへ出来たもんだから、なんとなくうら寂しい雰囲気になってしまった北口駅前通りですが、難なく歩いて行ける距離にあります。どうしても電車で行きたい方は、万葉線がクルン高岡(SC)の下から出ていますから、乗って次の末広町で降りてください。参道正面から入りたい方は、駅方向からだと坂を下りながら廻り込む形になります。末広町廻っていきますと、降りてスグに高ノ宮通りを左折していくと、境内左脇から入れます。クルマの方も同じで、L字の道角に突き当たったところに神社の駐車場があります。南北に長い境内地で、参道正面から入って、本殿は南を背に北を向いて建っています。授与所は本殿向かって左側にあることはあるんですけど、これは繁忙期用の頓所で、何でもない普段の日は、社殿の中に授与品いろいろ並べてあって、奥から神職さんや巫女さん(昔の巫女さん)出てきまして、好きなモノを言えば売ってくれます。御朱印も同様です。いないときは、左奥の社務所か、ピンポンありますから押せば出て来てくれます。(これは書き方がいけない。回れ右して左奥なのか、図も出しておくとよい。ウロウロしてる方をたまに見かけます)。キャラ守りも通年少々置いているのですが、縁結びのお守りが人気のようで、よく出ています。あと、最近アマビエのお守りを扱うようになりました。※アマビエはその効験は別として、ほんらいは妖怪ですから、神さまではありません(詳しくは水木しげるの妖怪事典などをご覧ください)。だからアマビエは祀っていませんけど、ここの、随身像がなかなか立派で見ごたえがあります。本殿両脇に坐してます。
高岡市末広町にある高岡關野神社。關野とは高岡のかつての地名。前田利家の長男で加賀藩初代藩主の前田利長が詩経の一節から城の名前を高岡城とし高岡の城下町が造られました。そのためこの神社では高岡開祖の神として御祭神と一柱として祀られています。また春季例大祭で大きな山車が街を練り歩く御山車祭が有名な神社です。大黒社には昔使われていた山車の車が置かれていました。授与品はおみくじも御守も絵馬も色々な種類があり参拝者を楽しませてくれます。御朱印も複数あり私は關野神社と大黒天の書き置き御朱印を頂きました。
前田利長公を祀る神社。高岡市街に有り、失礼ながら意外としっかりした作りの神社です。石川、富山??になるのかな?前田家が大切されているなと感じる神社です。御朱印も書置きながら、お願いしたところ気持ち良く頂けましたし、丁度夏の時期なのか、夏詣のキーホルダーを併せて頂きました。有り難く、鞄に付けて利長公にあやかりたいと思います。
高岡の3つの神社の総称としてこの神社の名前が使われています。前田利長公を祀る由緒ある神社です。鳥居から拝殿に続く石畳の道がなんとも素敵です。富山ブラック瓦も鮮やかな拝殿は唐破風と千鳥破風の二重になっておりとても美しいです。内陣に入ると驚かされるのは、左右に鎮座する右大臣、左大臣の巨大で色鮮やかな木像です。内銀の奥には鳥居や本殿が木々の緑の奥に見えてとても美しいです。
高岡関野神社は、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)、加久彌神社(神明社)の本殿が遷座する荘厳華麗な神殿であり拝殿から一度で三社をお詣りできます。
2024.3境内は割合広くて駐車場が左手にあります。高岡市を守る神社です。紅白の梅はもう終わり頃。願かけなで牛がかわいい。
高岡市古城に鎮座する高岡關野神社です。慶長9年(1604)に射水郡水戸田の密蔵寺より分霊して熊野宮と称したのが始まりで、江戸時代までは加久彌神社(神明社)・関野神社(熊野社)・高岡神社(稲荷社)の3社を合わせて関野三社と呼ばれていました。文化3年(1806)に三社が現在地に遷座し、同一の境内で祀られました。有り難く、高岡關野神社の御朱印を頂きました。
前田利家公が祀られている歴史ある神社とのことですが、参拝者も住職さんも事務員さんも誰一人いませんでした。敷地内は綺麗に手入れされてます。お守りや御朱印がほしい人は呼鈴を鳴らして呼ぶみたいです。
豊臣秀吉や御車山祭と関係が深い 5/1は路上販売店が駅から100店位出て賑わう 鳥居前で祝詞を挙げる。
| 名前 |
高岡關野神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0766-25-2491 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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高岡関野神社(たかおかせきのじんじゃ)。富山県高岡市末広町。式内社(小)加久彌神社二座論社、旧県社。【祭神】伊弉冉尊・ 事解男命・速解男命・稲荷大神・前田利長命資料によると、大正八年、郷社・関野神社と、その境内にあった県社・高岡神社、加久彌神社が合体して、高岡関野神社となり、現在に至る。本殿が3棟あり、関野神社(熊野座)・高岡神社(稲荷座)・加久彌神社(神明宮)は関野三社と称して、同一境内に鎮座されている。郷社・関野神社は、『明治神社誌料』によると祭神伊弉冉尊・速玉男命・事解男命、相殿に素盞嗚尊・加具土命を祀る神社。往昔は、射水郡と婦負郡の境の熊野山に鎮座し、熊野神社と称していたが、村上天皇天暦二年、射水郡岡野郷(下関町)に遷座。慶長十四年、前田利長による高岡城築城に際し、上関へ遷座。さらに、文化三年に現在地に遷されたという。県社・高野神社は、『明治神社誌料』によると祭神稲荷大神・前田利長公を祀る神社。元は稲荷神社と称しており、前田利長築城の際、城内に稲荷大神を勧請したもの。慶長十九年、利長公薨去の後、利長公を合祀し、関野神社境内に移転した。明治になって高岡神社と改称し県社となった。加久彌神社は往古、射水郡関野郷上関村に鎮座せる式内社で有った。大伴家持卿、越中国司として下向の時、当社に参拝し神鏡を奉納したと伝える。式内社・加久彌神社の論社とする説もあるが、明治になって、同地にある関野神社が郷社に、高岡神社が県社になったが、加久彌神社のみは無格社だった。資料によると、慶長九年、前田利長が加久彌神社を関野神社境内に遷し、熊野社と称したとも。また、享保十一年神明宮と改称したとも。関野神社境内に遷される前は、中川(高岡駅北東)にあったという。あるいは氷見市神代の加久彌神社からの勧請だとも。とあります。