奥の細道の歴史を感じる。
甲冑堂(義経公家臣 佐藤継信・忠信妻女甲冑像)の特徴
趣のある佇まいのお堂で、静かな雰囲気が漂っています。
奥の細道の旅で訪れた歴史的な神社、芭蕉の足跡を辿れます。
甲冑堂の由来を丁寧に教えてくれる神主がいます。
資料館と記載がありましたが、中入ることはできませんでした。赴きがあり、歴史を感じます。ありがとうございます。
静かな佇まいです。駐車場あります!
以前行ったことありますが人形がちょっと怖い。
斉川の歴史を伝説知る。民を救った英雄*坂上田村麻呂。小児の妙薬*孫太郎虫。
史跡だからでしょうか?施設が古くて寒い。
2021年3月中旬に参詣させて頂きました。小雨模様でしたが梅の花が咲き始めました。源義経ゆかり往時を偲びました。裏手には孫太郎虫(斎川名物の漢方薬)供養碑が有りました。甲冑堂(田村神社)参考:白石観光ナビより引用す。福島との県境に近いかつての「斎川宿」近くに、坂上田村麻呂を祀った「田村神社」があります。境内にある「甲冑堂」には、かつて源義経の身代わりとなって戦死した家臣の佐藤継信(つぎのぶ)と忠信(ただのぶ)兄弟の妻、楓と初音の勇ましい甲冑姿の一本彫の木像が納められています。
4号線通ると気になっていた神社。駐車場もあり、御朱印も拝受できます。書き置きでしたが。松尾芭蕉も訪れた由緒ある神社です❗
奥の細道 第15の段 「笠島」奥の細道の旅で芭蕉一行が訪れた「次信(継信)、忠信ガ妻ノ御影堂」である。佐藤兄弟の妻が討死にした夫の鎧を付けて、兄弟の面影を姑に見せ、慰めた故事に基づく。(興味のある方は過去の投稿「大鳥城跡」を参照されたい)曾良旅日記では、医王寺に甲冑堂の記載が無いが、江戸時代の解説書「奥細道管菰」には医王寺に甲冑を着た木像があることを記している。考察するに、物語(奥の細道)の演出上、飯坂温泉を悪く書かねばならなかったため、あえて名前を「飯塚」と表記して、翌日訪れたここ甲冑堂のないようを盛り込み、本文にあるひどい宿の場所を限定させないための配慮と思われる。すなわち、「奥細道管菰」が記載を間違えているか、どちらにも木像が存在したかのいずれかと思われる。第15の段は鐙摺、白石の城を過ぎ笠嶋の郡に入れば…。とありこの辺りの記載は淡泊だ。鐙摺もこの物語を暗示しているようで面白い。鐙(あぶみ)は馬の鞍に付ける足を置くところで、その鐙を摺(す)ってしまうほど、岩が迫った細い道が由来だそうで、まさに主題歌「田植ゑうた」が終わって「奥の細道」が始まるといったところだろうか。白石城の城主は片倉小十郎、大坂夏の陣の後、大谷吉継の孫、真田信繁(幸村)の娘が嫁いだ場所である。彼女は伊達家にとってどういう存在でであったろうか?家康の篤実な大谷吉継への敬意であったと信じたい。過去の投稿、福島路ではずいぶん文学偏りの解説になってしまったので、本来の方針に戻して書きたいと思います。もっとも、手前もこの由、はとの一門のように蜜の罠(addicted to honey)を受ければ、内容が大きく変わるかもしれませんが・・・そりゃないかwww。
桜も見事です。
名前 |
甲冑堂(義経公家臣 佐藤継信・忠信妻女甲冑像) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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お堂がなんともいい感じで趣のある佇まいでした。