直虎紀行の必見スポット!
堀川城跡の特徴
堀川城の位置は龍潭寺の近くで、訪問しやすい場所です。
古城跡として整備された自然の中に、歴史の深さを感じることができます。
徳川家康の蛮行が伝わる場所で、直虎ファンには見逃せないスポットです。
伝堀川城址 の看板永禄11年(1568) 徳川家康は、 遠江侵攻にあたって、 井伊家の被官であった井伊谷三人衆、近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時らを調略し、彼らの本領を安堵しました。これにより、家康は井伊谷から刑部(おさかべ)城 引間(ひくま)城へと軍を進め、遠江に前線を得ました。 しかし、今川配下の土豪と農民たちは堀川城に立て籠もって抵抗しました。翌、永禄12年(1569) 徳川家康の遠江侵攻にも、もっとも強く抵抗した城跡です。 当時の浜名湖の湖岸にあって、水辺の守りを固めた砦だったと思われます。形や場所ははっきりしません。 ここで家康は籠城兵を「撫で切り」とし、敗残兵を探し出して気賀の獄門畷にさらし首にしています。 城兵は全滅となりましたが、一部が対岸の堀江城に渡り、落城の情報を伝え、堀江城は家康との和睦を選択します。 同じ今川家に仕えた 遠江の諸将には、それぞれにとって大きな選択の年となりました。なお、 井伊谷三人衆は家康の命で後に井伊直政につきますが、やがてそれぞれ独立していきま した。About 450 years ago, Tokugawa Ieyasu had attacked this castle. And he completely destroyed vassals of Imagawa Ujizane in this castle.平成28年3月 北区まちづくり推進課。
松平元康が今川氏から独立、今川領の遠江に侵攻して攻め落とした城。桶狭間での敗北で凋落の一途を辿る今川氏に従い続けるか、今川領を切り取る武田氏や松平氏に従うかで混乱する状況で、松平氏に反発する民は堀川城に籠り抵抗するが、城中の全員が撫で斬りにされたと伝わる。城から逃散した者も捕まり処刑され、獄門畷で首を晒されたとある。家康の苛烈な仕置で有名な城。駐車場は無いので路駐か、気賀関所の駐車場に停めて少し歩いて行くしか無い。
堀川城があったと思われる場所。城としての遺構は全くない。首塚もある悲劇のあった場所で徳川家康のダーティな部分を学ぶことができる。
龍潭寺を見学し、浜名湖畔のホテルへ途中の道路沿いにあったので、慌てて車を停めた。小型車なら車は城跡の脇に2~3台縦列駐車できる。城跡は道路上の田圃の一画にある。城址跡(古戦場)碑と首塚がある。首塚については説明看板が真っ黒で全く読めない状況で、詳しく分からなかった。堀川城の戦いは家康にとって最も残虐な戦いとのことであったので、きっとその犠牲になった城兵や人々の供養の首塚なのだろう。《2023.2.2訪問》
道端にポツンとありますがきれいに整備されています。
おんな城主直虎で龍雲党のメンバー力也役のプロレスラー真壁刀義さんがお参りしたのを記事で見ました。大河ドラマ館に行った後で寄られたとの事でした。
武士だけではなく多くの農民も亡くなったお城みたいです❗手を合わせて帰りました❗
特に何もありません、碑だけです。
2020年8月5日行って来ました。初めての場所って皆んなナビ使うと思うのですが、目的が右側になった時は1度通り過ぎて何処かでU-タンした方が車は止めやすいです。結構交通量が有るので乗り降りなど気を付け下さい。比較的初心者向けですかね。
| 名前 |
堀川城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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地形的にも、すぐ近い刑部城と違い、こんな周りに何の障害物もない、平城(砦)だったのか?もっと言えば本当にここにあったのか?違う場所では?と非常に疑問。