大谷鉱山の歴史を探訪。
大谷鉱山歴史資料館の特徴
鉱山の歴史を感じる大谷鉱山の資料館です。
昭和37年まで操業を続けた跡地を観ることができます。
錦の豊かな自然に囲まれた静かな環境で楽しめます。
鉱山の跡は遠目に見えるだけです。資料館は、無料にしては良いですが、珍しいものは多くありません。好きな人向き。
大谷の産金の歴史は前九年の役(1059年)以前と言われ、その後、手掘りから機械掘削に変わり鉱山として大変隆盛を極めた。平泉の黄金文化を支えた金は『本良金』と『気仙金』といわれ重要な意味を持つ。その歴史の流れなどを学ぶのに適した施設。辿り着くまでが少し寂しい道をドライブする必要がある。無人で入館料は無料。
無料です。国道から少し細い道を10分もかからないで、たどり着きます。
資料館を覗いてみましたが無人でした。鉱山跡を見学するイベントなどあれば参加してみたいです。
実質的に閉山した昭和37年までこの資料館のすぐ下、東京理化器械敷地のすぐ近くの社宅に家族で住んでおり、60年ぶりに東京三鷹から訪れました。当時は小学生でした。資料館の中の集合写真に当時の母親の姿を発見し、感激です。帰宅して100才を超えた実家の母に写真を現像して見せたところ、食い入るように長い間みつめていました。この資料館のすぐ隣には鉱山の事務所と、今で言えばスーパーに当たる供給所がありました。また今は東京理化器械の工場が立っている場所はグランドで、大人に交じって野球をしたことを覚えています。鉱山事務所から幅の広い階段を降りてすぐの場所には映画などの娯楽施設で、妹が通っていた幼稚園も兼ねていた会館があり、当時は本当に賑わっていました。45号線を走るバスがこの会館前のロータリーまで進入してきて折り返しのバス停になっていて、大谷小学校への通学に利用させてもらいました。
鉱山跡が林に遮られて眺めづらいのがもったいない。資料館は解説板は少な目だけど当時の鉱夫たちの写真が多く展示されていて、当時の生活の様子が想像できた。
賑わっていた時代があったとは想像も出来ない場所でした。欲を言えばもう少し近くから見てみたかったです。
鉱山としては最近と言える昭和54年まで操業していた金山とのことですが、わざわざ行くだけの価値はないと感じました。
水曜日は定休日。プレハブみたいな小屋しかない。
名前 |
大谷鉱山歴史資料館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0226-44-2816 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.2 |
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朝早く来たら10時に開くので時間まで待っていたら良いかな、せっかく来たので やはり来るのであれば木の葉が出る前だと山が見え良かったかな。