樹齢1000年の楠が守る神社。
浜松八幡宮の特徴
樹齢1000年の御神木『雲立の楠』がある神社です。
家康が隠れた伝説の地で、由緒ある八幡宮です。
浜松という地名の由来があり、神聖な雰囲気の境内です。
浜松市内の神社です。御神木の大きさは驚きます。ふたつに別れてるのかと思いましたが、繋がってました。徳川家康が隠れたと言われるこの御神木は見応えがあるとおもいます!
八幡太郎義家、足利義政、徳川家康と縁の深い神社です。「はままつはざざんざ」と義政公が詠んだ「ざざんざの松」や三方原合戦で逃げ込んだ家康公を守った「雲立の楠」などなど見どころ満載です。
徳川家康を守った、樹齢1000年の御神木『雲立の楠(くもたちのくす)』家康が三方ヶ原の合戦の敗北後にこちらに逃げてきて、この大きな楠の洞穴に身を潜め難を逃れたという伝説の木です。樹勢はやや衰えの印象でも、一見の価値ありかと思います。
年明けからサゲサゲなので神頼みにお参りしました。家康公ゆかりの浜松有数の社、本殿、古木、稲荷神社、どれも歴史ある素晴らしい神社⛩。しっかりお参りしたので御利益あると思います。
お参りする方が多く、明るい印象の神社。太陽の光がたくさん当たるので写真も撮りやすいと思いました。コインパーキングに駐車しましたが、駐車場はそこそこ停められそうです。
浜松城の鬼門(北東)位置に鎮座する浜松八幡宮は由緒によると、徳川家康が居城を岡崎から浜松へ移し、「鬼門」の位置に鎮座する八幡宮を鬼門鎮守、鬼門降伏の氏神として信仰し度々参拝したと言うことで、浜松城観覧後足を伸ばして歩いてお詣りに来ました。境内は松並木の参道に、拝殿前には幹回り14mにもなる「雲立のクス」があり、緑溢れるパワースポットとなっていました。綺麗な真新しい社務所もできており、御朱印を書いていただきました。
大通りを少し入った所にあります。駐車場は無いように見えたのでアクセスはしにくいかもしれません。参道の松の木が海の近いことを感じさせました。
八幡宮は古来「野口の八幡さま」として親しまれてきました。平安時代の延喜式神名帳に所載の式内社であり、静岡県神社一等級、旧郷社としての格式を有しています。「勝運・立身出世、開運・厄除、交通安全、(縁)むすび、長寿・健康・子宝、安産・子育て」に御利益があり、正月には初詣客で賑わいます。仁徳天皇が許部(こべ)の里(現在の小沢渡町)に海運の神を祀る「許部神社」を創建したことが起源とされています。平安時代の938年、ご神託により許部から当地曳馬に遷座した際、現れた白狐が持ってきたとされる2本の松苗を植え、曳馬の方は「颯々(ざざんざ)の松」、許部の方は「音羽の松」と呼ばれるようになりました。ちなみに、この故事により「浜の松」すなわち「浜松」の地名が生まれたとの説もあります。なお二代目の「音羽の松」は小沢渡町の六所神社で見ることができます。平安時代の1051年には源義家(八幡太郎義家)が源氏の氏神である八幡神を勧請し、八幡宮として多くの武家や庶民の祟敬を集めてきました。境内にある樹齢千年とされるご神木「雲立楠(くもだちのくす)」には、三方ヶ原の合戦で武田勢に追われた徳川家康が洞穴に隠れた時、にわかに瑞雲が立ち上がり、神のご加護により家康は無事浜松城まで逃げ帰ることができたという逸話も残されています。その後家康は浜松城の鬼門を守る八幡宮を徳川家代々の祈願所と定め、武運長久を祈ったとされています。彼が天下を統一できたのは、八幡宮の御利益によるものだったかもしれませんね。ところで、トヨタ自動車はトヨタ町1番地なのに、八幡宮は八幡町2番地であることに先ほど気づきました。それでどうってこと、ないんですけど・・・。
源氏、武家の守り神である八幡様。徳川家康が三方ヶ原の戦い敗走時に楠の木に身を隠し難を逃れただけでなく、浜松城の鬼門の方角、北東に位置する事から手厚く庇護されたとされる。江戸時代には東照宮も建立。ほか稲荷社等見処の多い由緒高き神社なのだが、東半分は楠倶楽部なる秘密結社の様な名前の昭和モダンな佇まい漂う建物が。こちらは結婚式や催事に特化したもの。結婚式は私が年頃の時代にはかなり安いと評判だったが果たして?色々賑やかなだが、結婚式や催事の少ない平日は非常に静かな緑のオアシス。御朱印500円。
名前 |
浜松八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
053-461-3429 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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浜松に行ったので、地元の神様にご挨拶に行きました。参道も有り趣あるお社で、足を伸ばした甲斐がありました。御朱印も頂きました。