田園の中に佇む歴史の神秘。
磐神社(衣川石神)の特徴
田んぼの中にひっそり鎮座する、歴史ある磐神社です。
狛犬の表情が印象的で、独特の雰囲気を醸し出しています。
延喜式神名帳にも記載されている、古い神社の一つです。
創建時期は不明。近くにある松山寺の女石神社と対になり、日本武尊命と稲葉姫命を御祭神とする神社となっているが信仰の対象は御神体の巨石で男石大明神と呼ばれる。本来は社殿を構えない習わしだった。しかし1897年に氏子の強い要望で拝殿を建てています。正面からは見えないが巨石は拝殿の後ろにあります。安倍晋三元首相の先祖である奥州安倍氏は巨石をアラハバキ神として崇め、拠点を形成したそうです。駐車スペース有り。神社に向かって左側に停めれます。
「漢」そのものな日本武尊を祀ることからも女石神社と対をなしてるのでは?と思わされる神社。社殿後方にドーンと磐座があり、明らかに御神体と思われます。
祭神:日本武命(ヤマトタケルノミコト)稲葉姫命(イナバヒメノミコト)奥州市衣川の田園地帯に鎮座する神社です。延喜式神名帳に記載がある事からも、歴史の長さが窺えます。別名「男石大明神」とも呼ばれ、女石神社とは陰と陽の如く対になる神社です。御神体は、本殿裏に安置されている高さ4.2mの巨大な自然石です。
風情の感じる神社です。集会所の改築工事中ですので気を付けてお越し下さい。
男岩の祠の辺りに、どなたかいらっしゃったような気がしました🙏失礼と思い、祠が見えない角度から写真を撮らせて頂きました。
延喜式神名帳の陸奥國膽澤郡の項に記載のある式内社。この神社は田んぼの真ん中にぽつんとあって、拝殿の裏側に巨大な磐座があります。拝殿のみで、本殿はなく、その拝殿も明治になって初めて作られたので、元々は磐座のみの式内社。三田市の磐神社もなかなかですが、こちらの磐座も立派です。古代の祭祀を伝える貴重な神社だと思うのですが、ほとんど知られていないのが、不思議なほど。胆沢・江刺(胆江地方)には中尊寺や毛越寺があり、奥州藤原家の本拠地だったところ。さらにそれより古くは、安倍氏の本拠地があったところ。中尊寺は北緯39度0分の線上にありますが、ここから北緯40度の線上の間に奥六郡と呼ばれる奥州藤原家の支配地域があります。北緯39度より南には藤原摂関家などの朝廷の荘園が多くありますが、39度以上は朝廷の支配外だったようです。それでいて、金などの鉱物の産出もあり、また朝廷から半独立状態だったこともあり、経済的にとても豊かな場所でした。当社は平泉の北東、南股川と北股川の間にある式内社で、論社はない。今回、宮城県と岩手県の内陸を巡ったが、当社は一番に訪れたかった神社。境内にある案内板の内容を要約すると、①この神社は男石大明神とも称し、松山寺境内の女石神社とともに陰陽二神となっている。②当社は日本武尊、女石神社は稲葉姫命を祀る。(稲葉姫命とはよくわからないが、鹿屋野比売神のことだろうか)③御神体は東西10.2m、南北8.8m、高さ4.2mの自然石。④古来、本殿はもちろん、拝殿もなかったが、明治30年頃に拝殿が建てられた。⑤当社の近くに安倍館があり、安倍氏は当社をアラハバキ神として崇敬した。拝殿の裏に御神体の巨大な石があるのですが、とても大きく、社殿がなくても田んぼの中では目立ちそう。安倍氏は自らを長脛彦の兄、安日彦の後裔と称していたという。そして、荒脛巾神は蝦夷の神とも考えられます。多賀城跡の鬼門の方角、城壁の外側に荒脛巾神社がありますが、あれは蝦夷を以って蝦夷を制する考えなのか、あるいは門客人神社としての位置づけなのでしょう。いずれにしても、安倍氏が長脛彦の兄の後裔と称し、蝦夷の神である荒脛巾神の神霊としてこの岩を奉斎していたのは、とても興味深いものです。
田んぼの中にポツンとある神社ですが延喜式にのっていたという古い神社。本来は社殿なしの磐座だったとのこと。東北安倍氏が今でもすぐ近くに住まわれています。安倍氏はこれをアラハバキ神としておまつりしてきたとのこと。
田園地帯に佇む、落ち着いた神社。
歴史ある神社です。
| 名前 |
磐神社(衣川石神) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ツーリングで立ち寄りさせて頂きました。(探訪日2025年10月25日)◆巨石信仰(磐座信仰)• 本殿はなく、巨石(磐座)を御神体として祀っているのが最大の特徴です。この巨石は「男石大明神」とも称され、近くの松山寺境内にある「女石神社」と合わせて陰陽石として信仰されてきました。• 地元では古くから「おいしさま」と呼ばれ親しまれています。◆アラハバキ神(荒覇吐神)信仰と安倍氏• この神社は、かつてアラハバキ神を祀っていたという説があり、また、平安時代に奥六郡(現在の岩手県南部から盛岡市周辺)を支配していた豪族・安倍氏の守護神として崇敬されていたと伝えられています。• 安倍氏は、源頼義と争った前九年の役(1051年-1062年)で滅亡しましたが、この磐神社は彼らの信仰の中心地の一つであったと考えられています。このように磐神社は、古代からの巨石信仰やアラハバキ神の伝承、そして奥州の歴史を彩った安倍氏との関わりなど、この地域の歴史と文化を物語る重要な史跡です。◆安倍晋三元首相は、自分の先祖は古代から中世にかけて蝦夷の長であった安倍氏だと信じていたといいます。この磐神社には実弟の岸信夫氏が参拝に訪れていたとも言われております。