歴史を感じる静寂の神社。
須波阿湏疑神社の特徴
雪の残る静かな日でも、静寂な雰囲気が漂う神社です。
樹齢千数百年の北陸一の大杉があり、神秘的な空間を提供します。
本殿は国指定の重要文化財で、文化的価値が非常に高いです。
須波阿須疑神社は全く知らなかった。本殿、拝殿、楼門などがあり、かつては重要な神社だったと思われる。今では建物もかなり古くなり立ち寄る人も少ないと思う。
ずっと気になっていた神社です。3月の末に、結構な雪。参拝にちょっと苦労。8年前に参拝した時は、どうか「癌」じゃありませんようにと祈ったものの、ステージ4の癌でした。でも、癌は完治しないものの、あれから8年近くも生きていることに感謝。本日、あと8年リクエストしてきたわけです。果たして、この願い届くだろうか。
雪の積もる季節だったので、大杉の方へは動物さんしか行けなさそうです笑本殿はある程度雪が除かれていますが、そうじゃないところは動物の足跡すらない箇所も。誰もお参りする人いないのかなとちょっと寂しく思ったので、雪の中に足を突っ込んで手を合わせてきました笑また違う季節に伺えたらと思います。
延徳3(1491)年に再建された本殿は500年もの歳月に耐えてきた独特の雰囲気に包まれている。1491年といえば室町時代であり、足利将軍家でいえば10代将軍、足利義稙の時代である。これだけ見ると、鎌倉時代や戦国時代よりも「わかりにくい時代」であることは否めない。この年は“一休さん”で知られる一休宗純が亡くなった10年後であり、美濃、尾張、甲斐では飢饉が発生し、多数の死者が出た年という。建立後、83年が経過した天正2(1574)年9月には一向一揆勢により拝殿などが焼失しているが、本殿は何を逃れている。拝殿は元禄2(1689)年、楼門は嘉永3(1850)年に再建されているという。冬には雪深くなる池田の地で533年(2024年時点)と聞くだけで、気が遠くなる。いかに池田の人々が尽力し、受け継ぎ、守り続けてきたかという地道な努力に感服する他はない。
2024.6訪問。福井県の友人から教えて頂いた神社。国指定重要文化財の本殿、県指定天然記念物稲荷の大杉、町指定文化財の拝殿と楼門(神門)などがあります。この日は他に参拝者は居なくてゆっくり見ることができました。稲荷の大杉へは、ほどほどに歩くので足元が良い日に登ることをオススメします。
子供のころから素通りしてましたが、初めて訪れました。街並みは変わっても外から見るこの鳥居は変わらないなぁ。神頼みなどはしないので、散策程度に。
とても、静かで、雰囲気の良い神社です。行った時は丁度誰も居なかったので、ゆっくりと見れました。
とても雰囲気の良いお社です。重要文化財の江戸時代からの本殿は荘厳で、ちょっと変わった造り。拝殿には土地柄か能面が奉納してありました。美しく調えられ、かつ商業的なところがないので、心を落ち着けて神様にお会いできそうな神社でした。
雪の残る静かな日に訪れました。階段を含め参道が雪かきされていて感謝の気持ちで参拝出来ました!お祭りなども盛んに行われている池田の人々に愛されている神社さんですね。
| 名前 |
須波阿湏疑神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0778-44-6365 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20151027_155622 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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須波阿須疑神社(すはあずきじんじゃ)。福井県今立郡池田町稲荷。式内社(小)三座、旧県社。【祭神】右殿:建御名方命 正殿:倉稻魂命 左殿:大野手比賣命(配祀)太田命 大己貴命資料によると、通称は、池田惣社、お稲荷さん。池田郷四十八ヶ村の惣社として崇敬された神社で、式内社・須波阿須疑神社三座の論社となっている古社。倉稻魂命、建御名方命、大野手比賣命の三柱を祀る神社で「三座」というのだろうか。「須波」は、諏訪神・建御名方命のこと、「阿須疑」は、あづき神・大野手比賣命のこと。であれば、二座なのではないかと思う。稲荷は地名になったので、社名には反映されていないのか?社伝によると、諏訪神・建御名方命は、第二十五代武烈天皇の御代(五世紀)、池田郷野尻から移り給うたと伝えられている。野尻鎮座の諏訪神社は「元須波社」と称しているらしい。あづき神・大野手比賣命は、池田郷の地主神で、小豆生産信仰と深い関係があるという。一説には、勝戸郷に鎮座していた勝戸神社が印内村に移し祀り、その後、当社へ合祀されたとも。勝戸を「しょうと」と読み、小豆「しょうづ」と音が近いという理由であづき神としたという。稲荷神・倉稻魂命は、第四十四代元正天皇の霊亀二年(716)九月七日、建御名方命と大野手比賣命の託宣によって、山城国飯盛山から、大杉へ影向かされたと伝えられている。国司・武将の崇敬が篤く、延徳三年、一乗谷城主、朝倉貞景公によって社殿が再興され、天正二年(1574)、一向一揆によって拝殿等は焼失したが本殿は焼け残ったという。明治六年には県社に列せられた。とあります。