豊臣秀吉も訪れた小濱神社。
小濱神社の特徴
内灘町中心に位置する由緒ある神社です。
大きなお祭りが行われる地域の重要なスポットです。
駐車場が無いためアクセスには注意が必要です。
小浜神社(おばまじんじゃ)。石川県河北郡内灘町大根布。式内社(小)、加賀国二宮。旧県社。【祭神】大己貴神 事代主神 少彦名神資料によると、神功皇后の三韓征伐にあたつて小浜の磯崎に大神を祀り、夷賊の来冦を防ぎ国家鎮護の神と仰いで日隅宮と尊称した。往古、対外関係あるいは東北経管にあたり、本社の神威が仰がれた。勧請年月不詳なりといえども、元正天皇の養老2年(718)朝廷より小濱磯崎より30町余南小濱の松林中(黒津船地内)に転遷、神戸魚取部、数十人置かる。朝廷よりの崇敬厚く、度々勅使参向され、官幣、神料田地、神宝等を賜う、永徳2年神階正三位に昇格、又、天正年間に豊臣秀吉が柴田勝家を攻める時、当社に戦勝祈願に立寄り、兵を宿泊させたと記録されている。又、藩主前田利家を始め、前田家累代の崇敬厚く、廃藩に到るまで、社殿造営、神具調進等すべて前田家よりなされ、毎年春秋両度、修覆するを慣例とされる。故に社紋は、左三つ巴なるも、前田家の家紋剣梅鉢がつけられている。天保3年、黒津船より石川郡五郎島へ、移転、明治6年8月、石川県より氏子神社38社を小濱神社附属社に取りきめらる。明治13年、県社に列せられ、明治39年、神饌幣帛供進神社に指定される。明治22年、五郎島より現在地大根布へ移転再建し、それより数えて、平成2年は御遷座100周年に当るを以って、38社の氏子等始め、崇敬者の奉賛により、100周年記念事業として、御本殿の修復、幣殿、拝殿の改築、直会殿の新築等を行い、御遷座100周年大祭を賑々しく斎行された。とあります。
おばまじんじゃ。加賀の国二ノ宮加賀郷総鎮守。祭神は大己貴神、事代主神、少彦名神。創建は不詳ですが神功皇后が三韓征伐の際に小浜の磯崎に大神を祀ったとされています。社地を三度変えていますが延喜式神名帳に名を載せる千年以上の歴史ある古社です。加賀藩主前田家との繋がりが深く社紋の左三つ巴の他に前田家家紋の剣梅鉢紋が随所に付けられていました。いろいろ探してみるのも一興かも。境内神社として創建の地名を冠した磯崎神社が在りました。
2023年7月9日(日)に参拝いたしました。
【豊臣秀吉も戦勝祈願に訪れる】◎天正天皇・養老2年(716年)に朝廷より小濱磯崎から松林中(黒津船地内)に転遷(朝廷よりの崇敬厚く、度々の勅使参向)、数度の移転の後、明治22年現在地の大根布に移転再建される。平成2年には100周年記念事業として、本殿の修復等を行う。◎天正年間に豊臣秀吉が柴田勝家を攻める時に戦勝祈願に訪れ、兵を宿泊させたとの記録が残されている。◎藩主前田利家を始め、廃藩に至るまで社殿の造営等は前田家が行っていた。※小濱神社記念碑より。
氏神様の本山です。いつもありがとうございます。
これました。二ノ宮神社。なんかさっぱりします。この後は、跡地まで行ってきます。
加賀國二之宮の一つ。宮司さんの家と敷地が一體化してゐて、生活感がありますw 砂丘上の神社らしく籠もった感じがなくて、雰圍氣は惡くありません。
内灘大根布にある大きな神社です。境内には磯崎神社があります。
大きなお祭りがある。
| 名前 |
小濱神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
076-286-0012 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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小濱(おばま)神社と読む。内灘町の北方に古くから鎮座していて、大己貴神 事代主神 少彦名神を主祭神としてお祀りしています。内灘の町は日本海の風雪に晒される海沿いの町ですが、神社はもともとは"黒津船"地区にあったものが近世後半に"五郎島"へ遷座し、近代に至って現在地の大根府に落ち着いた経緯を持ちます。本殿は海側西を背にして建ち、東面して、こうしたところにあって、加賀の国の二之宮であり延喜式内社であり、近郷には兼務社を擁して今日に至っています。現在の内灘は東西によく区画の進んだ坂の町で、地理も分かりやすく、北陸鉄道浅野川線の粟ヶ崎駅下車、大野川に沿って砂利道をずっと北へ歩き続け、道なりに行くと西へ曲がって県道に出ますから、丁字路で右折、大根府三丁目の信号機がある丁字路を左へ進み、緩い坂を登った先の右手に境内があります。内灘駅からバスも出ていますが、歩いて行ける距離です。境内は特に本殿背後に広がる林が深く、松籟のなかでこどものひろばに続いています。社務所は本殿右手に授与所を兼ねてあり、授与品は玄関内で配布しています。