勝立社宅の大正時代鳥居。
勝立山の廃神社の特徴
勝立山の廃神社は大正時代の鳥居が印象的です。
旧参道が残る境内裏は歴史的な雰囲気を味わえます。
勝立社宅で育まれた人々の想い出が息づく場所です。
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勝立社宅で暮らした人の想い出の残る廃墟。まだまだ階段、狛犬しっかりしています。もちろん鳥居も・・・
社は無くなっていましたが、境内裏にある旧参道と大正時代の鳥居が残されている。
名前 |
勝立山の廃神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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勝立山神社跡は、大牟田駅の南東3.9kmほどの山の中腹にあります。社東隣りには研究施設のみになってしまった帝京大学勝立キャンパスがあります。現在、参道は広く、当時は立派だったと想像しますが、社殿はなく、完全に廃墟になっています。かつて神社は三池炭鉱の氏神として祀られていました。御祭神は愛媛県にある「大山祇大神」で、坑内に下がる前に山の神に向かって拝礼し、安全祈願を行ったり、正月の三社参りの一つとして参られたりしていました。しかし、 平成9年(1997年)の三池炭鉱閉山後は、管理なども行われていないようです。神社創立は、吉田辰次郎氏らによって明治38年(1905年) に建立・奉納されています。鳥居は、大正5年(1916年)の大祭前に、勝立採鉱夫有志などの寄付金などにより建立されました。