上杉景虎 最期の地 鮫ヶ尾城。
鮫ヶ尾城跡の特徴
続日本100名城の一つ、山城の鮫ヶ尾城跡です。
上杉景虎が自刃した城趾で歴史的意義があります。
三つの登城ルートからアプローチ可能な観光地です。
ぐるっと一周して1時間位の登城になります。見事な堀切等の遺構が残っています!
上杉謙信没後の景勝、景虎の跡目争い「御館の乱」で天正7年(1579年)、景虎は陥落した御館から兄氏政の小田原城に逃亡しようとし鮫ケ尾城へたどりついたが鮫ケ尾城主堀江氏も景勝側になり景虎が自刃した城で有名。国指定遺跡で案内板のある無料駐車場あり、総合案内所に案内板、パンフレットあります。城へは東登城道、北登城道、南登城道(大手口)があり駐車場から近く、登城道沿いに堀切、曲輪などある東登城道を利用しました。堀切をいくつか越えて東一ノ丸、中心部は標高186m城山に眺望のある本丸、堀切はさんで米蔵、西ノ丸二ノ丸、三ノ丸、虎口、井戸跡あります。現地縄張り図を見ると尾根筋に北、南、東遺跡群に分類された多数の曲輪群、堀切があるようです。御館の乱で有名な城にやっと訪問できました。東登城道の上り途中に斐太遺跡群(古代竪穴、環濠)も見れます。
登城する前に総合案内所で説明を受けた方がいいと思います。続100名城スタンプもここにあります。鮫ヶ尾城跡だけでなく斐太遺跡もあるので、弥生と戦国の両方を巡れて個人的には結構満足出来ました。登城中大堀切が2箇所くらいあり、アップダウンもあったりで足元注意の箇所がありますが、往復で約1時間くらいかかります。本丸から見た妙高市内の眺望も良かったです。念の為にクマ対策もした方が良いと思います。
2025年5月、数年振り2度目の訪問。前回は雨の中での登城。本丸まで行って戻るだけだったので今回はゆっくり見学出来て良かった。城の遺構は山上付近にあるのでほぼハイキングのような形になります。案内所で地図をもらい、東登城道から登りました。途中、二重環濠(なんと弥生時代の遺跡。それらしい堀は埋まっていてよくわからなかったですが)を見た後、東一の丸→三の丸→井戸→虎口曲輪と見学。大手道である南登城口から登るとここで合流するようです。その後、二の丸→本丸→米倉と見学して北登城道を経由して案内所まで戻りました。見学時間は1時間ほど。城の遺構は曲輪跡と深い堀切ですが、マニア向け、玄人向けの城といった感じです。散策する際の地図はもらえますが、城の縄張図もできれば欲しいところです。
2025.3.27斐太歴史の里側から登城しました。深い場所で1m近くの残雪があり、行けなくは無さそうでしたが残雪トラバース区間があり中々危険を感じ本丸直下にて撤退しました。神社側のルートは歩けるそうです。北条三郎が御館の乱を起こしこの地で散りました。大きな歴史が動いた地でもあるので、春日山城登城後に来てみましたがまたいつか再登城しようと思います。
続100名城No.13325.03 訪問3月終わりに車で訪問、斐太歴史の里の無料の駐車場に止めて総合案内書に訪れますが、3月末まで休館とのこと。たまたま開館準備をしていた方が親切にパンフレットと登山ルートの説明をしてくださり、頂上付近はまだ雪がかなり残っていることを教えてくれました。唯一登れる東登山道にチャレンジしましたが、思ったよりも雪が深く、当時は軽い登山程度の装備だったため途中で断念。続100名城のスタンプは、3月末までは、近くの温泉施設かわら亭のフロント設置してあり、温泉も楽しませていただきました。(歴史)鮫ヶ尾城の築城時期は詳しくわかっていませんが、謙信死後に起きた御館の乱では、城主である堀江宗親は上杉景虎に味方し、御館落城後、景虎の実家である北条家の本拠の関東への唯一の逃げ道となるこの城へ景虎を迎え入れましたが、景勝方の安田顕元の寝返り工作に応じ、二の丸に火を放ち城を去ります。景虎は、天正7年(1579年)、妻子と共に自刃した悲劇の舞台としても有名です。
鮫ヶ尾城は続日本百名城に認定されており、国の史跡に指定されている。鮫ヶ尾城は標高187mの山頂付近に展開されており、麓からの比高は120m程度である。登山道も整備されているため見学しやすい。往復で1時間程度である。鮫ヶ尾城は主郭を中心に東、南東、北西の各尾根に郭を展開している。複数の登山ルートがあるが、斐太遺跡から登ってくるルートがメインだろう。本丸には城址碑と東屋がある。本丸からの眺望はたいへん良く、頸城平野を見渡すことができる。本丸から堀切を挟んで北側に米蔵跡があり、米蔵は御館の乱での落城時に炎上したとの伝承があり、事実焼き米が出土するという。現在は持ち帰り禁止の看板が出ていた。本丸の南側には二の丸、井戸のある三の丸と続き虎口も確認できる。その他にも多くの郭があるが、藪に埋もれていた。鮫ヶ尾城は規模も大きく主要部はよく整備されている。春日山城の重要な支城であったと思われる。鮫ヶ尾城の築城年代は不明だが、歴史の表舞台に出てきたのは御館の乱時である。上杉謙信の後継争いとなり養子である上杉景勝と上杉景虎が争った。鮫ヶ尾城は上杉景虎方の城であり戦いに敗れた景虎は生家である相模の北条氏に逃れようと鮫ヶ尾城に逃れたが、ここで景勝方に追い詰められこの地で自刃して果てた。
〈続〉日本百名城の一つ。さすが山城、周回で1時間かかるそうです。また、16時以降は登城は止めるとの事で、今回はスタンプのみで登城はパスしました。暑くない時に再訪します。
真夏の正午前というかなり暑い時期に行きました。汗だくで大変でしたが、頂上からの眺めは素晴らしく、また堀切などの遺構がはっきりと残っており良かったです。基本的に低山登山です。登城路によるかもしれませんが、途中少し草が生い茂った場所もありますので、肌が露出する短パンはお勧めしません。案内所でスキーのストックを杖として貸してくれました。これがあるとやはり多少楽になるので、必要な方は借りると良いと思います。
| 名前 |
鮫ヶ尾城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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上杉景虎、最後の地です。御館とセットで見るのがいいですね。本来下の方から曲輪があるはずなのですが藪化しており確認できないです。上に行けば曲輪や堀切など分かりやすいです。それだけでも価値があるかもですね。往復で1時間ほどです。熊も出るようなので鈴などあれば安心ですね。