高知城前、板垣の自由が息づく。
板垣退助先生像の特徴
高知城の入り口近くに設置された立派な板垣退助像です。
自由民権運動の父として名高い板垣退助の銅像です。
1956年に再建除幕された大きな銅像が存在します。
板垣退助先生像高知城の玄関口である追手門を入ってすぐの場所に堂々と佇む、高知を代表する有名な銅像です。▪️デザイン左手を腰にあて、右手をまっすぐ前(日の出の方角)へ力強く伸ばした、熱弁を振るう姿を写しています。▪️歴史と再建初代は大正12(1923)年に桂浜の坂本龍馬像も手がけた本山白雲によって製作されましたが、昭和18(1943)年に戦時中の金属回収のため一度供出されました。現在の像は昭和31(1956)年に浜口青果によって再建された2代目です。▪️碑文と特徴台座にある「板垣退助先生像」の題字は、当時の内閣総理大臣・吉田茂の筆によるものです。傍らには、有名な名言を刻んだ「板垣死すとも自由は死せず」の碑も建てられています。台座を含めた全高は6.4メートルに及びます。GoogleAIより。
高知城追手門をくぐり、天守へ向かう石段のたもとに建つ「板垣退助先生像」は、高知県出身の政治家であり、自由民権運動の指導者として知られる板垣退助を顕彰する銅像です。初代の像は1925年(大正14年)、高知県宿毛市出身の彫刻家・本山白雲の制作により建立されましたが、1943年(昭和18年)、戦時中の金属類回収令によって惜しまれながら撤去されました。現在の像は1956年(昭和31年)に再建されたもので、題字は当時の内閣総理大臣・吉田茂が揮毫しています。板垣退助は1837年(天保8年)、土佐藩上士・乾家に生まれ、戊辰戦争では軍を率いて活躍しました。明治維新後は新政府の参議として要職を務めますが、征韓論争で下野すると、高知で立志社を設立し、自由民権運動を全国へ広めました。「自由は土佐の山間より出づ」と称えられる運動の中心人物であり、日本の議会政治の礎を築いた人物として高く評価されています。1882年(明治15年)、岐阜で遊説中に暴漢に襲われた際に残したとされる「板垣死すとも自由は死せず」という言葉は、自由民権運動の象徴として全国に広まりました。現在、像は天守を背に凛々しく立ち、高知城を訪れる人々を迎えています。背後には樹齢約200年といわれるセンダンの大木がそびえ、ここから望む天守の眺めも美しく、高知城屈指の撮影スポットとして親しまれています。
土佐藩に生まれた板垣退助は、故郷・高知の士族たちと共に「立志社」 を設立し、日本初の政党「自由党」を結成しました。議会開設を求める民権運動を全国に広げた勇姿がまさに銅像となって表れています。
☆板垣退助☆ポイント:お札のイメージ板垣退助と言えば学生時代に授業で登場した歴史上人物と「100円札」の人というイメージ。しかし、説明板にも表記されているとおり自由を求め闘う人のために動いた人ですね。
高知城の天守閣へ向かう途中に堂々と鎮座しています。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉通り、力強く前を見据える姿には圧倒されるものがありました。お城の風景の中に溶け込みつつも、強い存在感を放っており、高知に来たことを改めて実感させてくれる場所です。天守閣を目指すなら必ず通る場所にありますので、ぜひ足を止めてじっくりと眺めてみることをおすすめします。
☆高知城を背に右手を高く掲げる板垣退助。「板垣死すとも自由は死せず」の名言杉ノ段への石段登る右手に自由民権の地を象徴するような銅像、台座を入れて約6mの高さ、「山内一豊公」銅像が追手門の外に、「板垣(乾)退助公」は城内、立ち位置が逆なような気がしますが、城好きとしては🤔
高知城の追手門を入ってすぐ、三ノ丸の広場に堂々と立っているのが板垣退助先生の銅像です。高知が生んだ明治維新の立役者の一人であり、自由民権運動の指導者として知られる偉人です。この銅像はフロックコートに身を包み、左手を懐に入れ、右手を力強く掲げて群衆に語りかけるようなポーズをとっています。その表情は意志の強さを感じさせ、かつて演説によって多くの人々を動かしたカリスマ性が表現されています。板垣退助といえば、岐阜で暴漢に襲われた際に叫んだとされる、板垣死すとも自由は死せずという名言があまりにも有名です。この言葉は日本の民主主義の原点とも言える魂の叫びとして、現代まで語り継がれています。銅像の台座にはこの名言が刻まれており、訪れる多くの人々がその言葉を読み上げ、歴史に思いを馳せています。実は現在立っているこの銅像は二代目にあたります。初代の銅像は昭和4年に建てられましたが、太平洋戦争中の金属供出によって一度撤去され、溶かされてしまいました。しかし、戦後に高知の誇りを取り戻そうという市民の熱意によって再建運動が起き、昭和31年に現在の銅像が再びこの場所に建立されたという経緯があります。背景には江戸時代の象徴である高知城の天守や追手門が見え、手前には近代民主主義の父である板垣退助が立つという構図は、日本の歴史が封建社会から近代社会へと大きく変わったことを象徴するような、非常にドラマチックな風景です。記念撮影のスポットとしても定番で、高知観光の始まりにふさわしい場所となっています。
高知が生んだ大政治家の像です。大きく威厳を感じます。
退助が子供時代に赤ちゃんを抱えた女性が板垣家に物乞に来た際、退助は姉の着物を与えた。後に母に「我が家にあっては豪奢を嗜む着物に過ぎないですが、かの貧した女性にとっては自分と乳飲み子二つの生命が救われるかもしれないかけがえのない着物です」と答えたのは有名な話。この出来事が彼が民本主義を生涯にわたって取り組む萌芽となったとされる。その後貧困救済に尽力し、現在の自由民主党の源流となる自由党の創始者となった。驚くのは奥さんが4人、側室が3人もいる。いったいどんな家庭環境だったのか想像もできませんね。板垣退助の逸話は数しれず、近年判明したのは1883年にフランスを視察している時に購入したヴィトンのトランクが現存する日本最古のヴィトン製品だそうです。こちらのトランクは現在高知市内にある自由民権記念館に収蔵されています。
| 名前 |
板垣退助先生像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 8:00~17:00 |
| HP |
https://www.city.kochi.kochi.jp/site/kanko/itagakidouzou.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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「高知市:板垣退助先生像」2026年7月に訪問しました。高知城の追手門をくぐると、自由民権運動の指導者・板垣退助の銅像が堂々と佇んでいます。この「板垣退助先生像」は、大正12年に民衆の寄付によって建立された歴史があります。太平洋戦争中の金属供出により一度は撤去されましたが、昭和31年に高知県出身の彫刻家・浜口青果の手で市民の願いとともに再建されました。右手を力強く伸ばしたポーズは、激動の明治時代に自由を求めて聴衆へ語りかけた姿を彷彿とさせます。台座の題字は高知ゆかりの首相・吉田茂によるもので、傍らには「板垣死すとも自由は死せず」の碑も刻まれています。土佐の熱い歴史と民主主義の礎を感じられる、高知城内屈指の歴史スポットです。