静かに聖観音を拝む、大円寺。
大圓寺の特徴
幕末の風情が漂う曹洞宗の寺院、慶長2年創立のお寺です。
江戸三十三観音霊場の23番札所として巡礼者に人気があります。
八百屋お七を供養するほうろく地蔵が祀られている歴史的な場所です。
薬師坂・浄心寺坂の坂上となる場所にある寺。八百屋お七供養のために作られたほうろく地蔵があるがそもそも八百屋お七を放火に目覚めさせた天和の大火の火元が大圓寺である。路地挟んで西側の墓地には高島秋帆の墓あり。ほうろく(焙烙)繋がりであろうか。この墓地は百合や様々な植物が咲いていて雰囲気が良かった。
ほうろく地蔵で有名な静かなお寺。中山道歩きで立ち寄りました。ほうろく地蔵の隣に庚申塔が3つ(青面金剛と三猿)ありました。三猿の庚申塔はかなり古く延宝3年(1675年)のものだそうです。
最寄駅 東京メトロ南北線本駒込駅より徒歩10分程拝観料は無料 トイレ無し山号 金龍山宗派 曹洞宗本尊 聖観世音菩薩札所等 江戸三十三観音札所 第23番この寺は、慶長2年(1597年)石河勝政の開基、久山正雄の開山により神田柳原に創建されたという。その後、慶安2年(1649年)現在地に移った。昭和の初め、高村光雲によって七観音の尊像が造立されたが戦災で焼失、後に門下生によって復元された。との事ですほうろく地蔵で有名のようでこのほうろく地蔵尊は、八百屋お七の為にほうろくを頭からかぶって、灼熱の苦しみを受けているとのことで享保4年(1719)渡辺九兵衛がお七供養の為に寄進した様です境内の中央には戦争で犠牲になった将兵の追悼碑があり、大事にしたいですね。
大円寺の境内に安置されている「ほうろく地蔵尊」です。享保4年(1719)渡辺九兵衛がお七供養の為に寄進したものです。なお現在では首から上の病気平癒のご利益があるとのことで、ほうろく地蔵尊の前には病気の名前が書かれたたくさんのほうろくが重ねられています。
慶長2年(1597)開創の曹洞宗の寺院。当初、神田柳原にあったが、慶安2年(1649)現在地に移設。墓域には、幕末の砲術家であった高島秋帆、樋口一葉を終生助けた小説家の斉藤緑雨の墓がある。手入れの行き届いた庭木の間に立派な自然石が置かれ、心休まる雰囲気が感じられる境内。山門を入ったところに八百屋お七に因む「焙烙地蔵」が祀られている。
私事、江戸三十三観音を巡礼しておりまして、ここ大圓寺さんは二十三番札所になります。江戸三十三観音を巡礼していて感じる事に、それぞれお寺さんの個性と言うか使いたくない表現ですが格差が有ると言う事です。御朱印を拝領させて頂く際も、納経をすれば志納は頂いておりませんと言う所も有れば、止む得ない事情とは思いますが無人で御朱印を缶からセルフで拝領する所までそれぞれ違っています。ここ大圓寺さんでは御朱印を求めますと、わざわざ「お焼香」を用意して頂けました。初めての体験です。もちろんご丁寧に対応して頂き帰りはご住職様に見送って頂きました。感謝です。有難うございます。ここ大圓寺さんでの見どころは、何と言っても「ほうろく地蔵」です。高島平の地名の由来となった高島秋帆のお墓は墓地の一番奥になります。江戸三十三観音の巡礼も残すところ十カ寺余り、どんな体験が出来るか楽しみです。
文京区向丘の都立向丘高校の裏手にある。1597年に神田に創建されたその後現在の地に移転してきた。ここにほうろく地蔵がありこれは八百屋お七を供養するために建立されたものです。また幕末の砲術家高島秋帆や明治時代の小説家で終生樋口一葉を助けた斎藤縁雨の墓がある。国指定史跡となっている墓は境内ではなく少し離れた墓地にある。高島秋帆の墓は崩れかけているので子孫がいるのかわかりません。
見どころの多いお寺です。御朱印も丁寧に対応していただきました。
お七の墓所園乗寺から浄心寺を登ったところに有ります。享保4年(1719)お七の罪業を救うために渡辺九兵衛という人が寄進したといわれる、法六地蔵尊があります。熱した焙烙を頭にかぶり、自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様とされている。今では、頭痛・眼病・耳・鼻の病など首から上の病気を治す霊験あらたかなお地蔵様として有名です。墓域には富士見御宝蔵番・兼講武所砲術師範役を命ざられた高島秋帆(国指定史跡)の墓所が有ります。境内は広くは有りませんが禅寺らしい静けさを感じます。
| 名前 |
大圓寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3813-1321 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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華やかな千羽鶴に目を奪われました。改めて神社仏閣の歴史ある建物って良いと思いました。