甲斐の虎、武田家の誇り。
武田信玄・勝頼 墓所の特徴
武田信玄と武田勝頼の供養塔がある墓所です。
厳かな雰囲気が漂う、歴史深い場所となっています。
甲斐の虎と称された武将の眠る貴重なスポットです。
武田信玄の供養塔です。
《解説看板》武田店玄は、好敵手上杉謙信とともに乱世を生きた戦国武将であるが、性格直情の中にも文を学び神仏に帰依し、その基所を弘法大師空海の御傍この奥之院の一隅にまめた。戦国武将らしく簡素な基石は、豪華を誇る上杉家の霊廟に比べ、却って人の心に迫るものがある。向って左が武田信玄、右がその子武田勝頼供養塔。信玄の碑面の表には、恵林殿とあり、裏面には天正年(西暦1573年)4月12日逝去と記されている。また勝頼の碑面表には法泉寺殿と刻まれ、裏面には天正10年(西暦1582年)3月11日逝去と記されている。菩提所は成慶院。
向かって左が武田信玄(1521-1573)、右がその子武田勝頼(1546-1582)の供養塔です。信玄の五輪塔は、天正3年(1575)に建立されたものです。
厳かな雰囲気に包まれ背筋がピンとくる。有名武将の墓が数多くあり弘法大師のパワーを感じざる得ない。
他の武将達の墓石と比べると随分質素な作りに逆に信玄の人柄が見えてくる様な様に天晴れ!
武田信玄、勝頼墓所甲斐の守護大名で戦国大名の武田信玄(1521-1573)は、上杉謙信と並び天下人織田信長に最も恐れられた武将だとも言われています。信玄が生まれた武田氏は清和源氏の名門、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の棟梁です。甲斐守護も務め、信玄は第19代当主に当たります。武田勝頼(たけだかつより)は、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名で、戦国時代から安土桃山時代を駆け抜けるように生きた人物です。武田信玄を父に持ち、諏訪領主の娘・諏訪御料人を母に持つ、武田勝頼。 諏訪氏と武田氏両方の名跡を継いだのち、長篠の戦いで織田軍や徳川軍と戦い、仲間に裏切られて最後を迎えました。
甲斐の虎と恐れられた戦国大名・武田信玄とその息子、勝頼の墓所です。上杉謙信の墓は参道を挟んで北側にあります。
たまたま気になりとりました、二枚目の写真、何か通った感じですね。
武田信玄公と、御子息の勝頼公のお墓です。勝頼公は生前大変な苦労をなされました。是非少し足を止めて、墓前で手を合わせていただければと思います。
| 名前 |
武田信玄・勝頼 墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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名だたる武将の墓所というか供養塔ともいうのがあるのが高野山奥の院。武田信玄、勝頼親子の墓所も一の橋口からそれほどでもないところにある。【看板に記載の解説文】武田店玄は、好敵手上杉謙信とともに乱世を生きた戦国武将であるが、性格直情の中にも文を学び神仏に帰依し、その墓所を弘法大師空海の御傍この奥之院の一隅に求めた。戦国武将らしく簡素な墓石は、豪華を誇る上杉家の霊廟に比べ、却って人の心に迫るものがある。向って左が武田信玄、右がその子武田勝頼供養塔。信玄の碑面の表には、恵林殿とあり、裏面には天正元年(西暦1573年)4月12日逝去と記されている。また勝頼の碑面表には法泉寺殿と刻まれ、裏面には天正10年(西暦1582年)3月11日逝去と記されている。菩提所は成慶院。