沖縄の歴史が息づく転車台。
旧沖縄県営鉄道那覇駅跡の特徴
転車台の跡地として、レトロな雰囲気が漂うスポットです。
旧那覇駅跡は、沖縄県営鉄道の歴史を物語る貴重な場所です。
昔の軽便鉄道が走った歴史を感じられる沖縄の観光名所です。
ゆいレールの旭橋駅前に在る沖縄県営鐡道の転車台の遺構です。子供の頃、沖縄県営鐡道は戦争の爆撃により痕跡は全て失われたと本で見て、最近までその認識だったのですが、此処に当時の転車台が遺されていたと聞いた時は衝撃的でした。初訪問は夜間となりましたが、転車台がライトアップされ軽便鉄道好きには充分なビュースポットと言えるでしょう。
沖縄における軽便鉄道の与那原線の駅として大正3年に那覇駅として開業しました。今も那覇駅跡に立っている碑が那覇バスターミナル近くにあります。(ゆいレールの旭橋駅徒歩3分)昭和19年10月10日の十•十空襲で駅舎がほぼ焼失してしまい昭和20年に運行が終了となり事実の廃線となりました。今では、軽便鉄道の歴史や当時の写真、路線図などが日に刻まれています。
バスターミナルからモノレール旭橋方面に行くとあります。転車台の遺跡です。今現在は駅の面影は全く有りませんが、少ないですが写真パネルもあり、当時の面影をイメージできます。
2022.11.16昔は鉄路が嘉手納、与那原、糸満へと繋がっていた。今日において、糸満から名護まで鉄道を通す計画がある。インバウンドや国内旅行者にも分かり易い交通手段ができることを望む。
ふと見かけた機関車こういうレトロな跡地、残してもらってて良かった。ミニ機関車があり、説明書きもあってしばし立ち止まってしまった。回りは繁華街だけど、こういうのに癒やされる。
ここ旧那覇駅跡は、かつて沖縄にあった鉄道のひとつ、沖縄県営鉄道(軽便鉄道)・与那原線の起点・那覇駅があった場所。現在は那覇バスターミナルとなった敷地の端に、転車台の遺構がある。遺構は柵で覆われ、周りに那覇駅の歴史を写真や文章で展示していたので以下抜粋した。与那原線は1914年に開業し、人々から「ケービン」の愛称で親しまれた。那覇駅はその後の路線増加とともに拡充された。赤瓦葺きの木造平屋建ての駅舎には売店もあり、隣接して鉄道管理所や交番が置かれた。構内には転車台、機関庫、石炭置き場、職員住宅などがあった。1944年の空襲で那覇駅は甚大な被害を受けたが1ヶ月後には運行が再開され、兵士の輸送や住民の疎開に利用された。しかし、翌年に米軍の攻撃により破壊され、運休となった。終戦後の1947年には鉄道復興の計画もあったが、道路の整備が優先された。1950年に朝鮮戦争が起こり、鋼材不足のためスクラップ(くず鉄)ブームが起こり、車両やレールの残骸もスクラップとなった。1953年から那覇駅周辺の区画整理が始まり、1959年には那覇バスターミナルとなった。抜粋は以上。2022年6月、旧那覇駅があった那覇バスターミナルから終着駅・与那原駅までの廃線跡を自転車で辿ってみた。途中には当時の遺構まだがいくつか残っていた。沖縄の鉄道は戦争によってすべて失われてしまったが、文化遺産として旧那覇駅跡のように後世に残すことは良いことと思う。
過去を感じる沖縄スポット。見えないところに戦争の爪痕が残っているのだ。先人の今の私たちの生活があることを肝に銘じたい。
歴史を知る機会になりました。
「那覇駅跡」は、国道58号線から那覇バスターミナルに向かう途中にあります。鉄道廃線跡が明瞭に残っているのではなく、発掘された機関車転車台の遺構と、ここが那覇駅跡である旨を示す案内板が立っているだけです。初めてこの遺構を目にしたときは夕闇の中で、ライトアップされていたこともあり、息を呑みました。この遺構は、旧与那原駅駅舎と共に、沖縄本島にかつて粘着式鉄道が建設され、旅客と物資を運送する定時運行が行われていたことを雄弁に証言する鉄道遺産であると、私は考えます。
名前 |
旧沖縄県営鉄道那覇駅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site/%E9%82%A3%E8%A6%87%E9%A7%85 |
評価 |
4.3 |
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旧那覇駅にあった転車台の跡。1944年10月10日の空襲で駅舎は焼失、米軍上陸により鉄道施設は破壊されたそうです。その後、朝鮮戦争で鉄不足となり、レールが撤去されたことや道路整備により線路後は残ってないのだそうです。