白峯寺で歴史に触れるひととき。
白峯寺 薬師堂の特徴
白峯寺薬師堂では、世界遺産登録に向けた調査報告会が開催されました。
現地での参加機会があり、歴史的な価値を直接感じられます。
午年、未年、申年にまつわる特別な意味もあり、興味深い体験です。
午年(うま)未年(ひつじ)申年(さる)みたいです。
白峯寺 薬師堂令和元年10月5日に県の文化芸術局が主催する「白峯寺調査報告会 ~世界遺産登録に向けて~」が白峯寺で開催され参加の機会を得た。白峯寺はウオーキングを兼ねて、再々訪れているが歴史ある建造物や遺跡が多く季節により景色も詣でる人々も変わるので見ていて飽きることはない。今回、これまでは何気なく見過ごしてきた「薬師堂:薬師如来、脇に金剛界大日如来と胎蔵大日如来が安置された金堂」を外からですが見学するメニューにあったので、とても興味深く楽しむことができました。以下は今回見学した薬師堂の一部です。●t外観は二層(二階建て)に見えますがその構造は一重裳階(もこし)付という建築様式で本屋根を支える柱の途中に庇(ひさし)のように屋根を取り付け一層目の内部を広げています。主柱に囲われた中心部を(もや:身舎・身屋・母屋)と云うのに対し、この部分を裳階と云います。鎌倉時代に禅宗とともに宋から伝えられたこの様式を「禅宗様(ぜんしゅうよう)」と云い、床には瓦様の物がタイルのように敷き詰められており、中央に祭壇、その奥に美しく彩色された秘仏の納められた厨子が並んでいます。●t薬師堂の四周には「蟇股(かえるまた)」に十二支の干支の彫刻が施されています。「子(ね)」は鬼門(北東)にあたる方向(本堂側)の中央にあり、そこから時計回りとなっており、私の干支「午(うま)」は裏鬼門中央(頓証寺側)にありました。●t薬師堂の建設年当日配布された資料によると、薬師堂は「19世紀前期」と記されているだけで具体的な建設年は記されていません。(棟札については空欄になっており有無は不明)ここでちょっと不思議に思ったことがあります。配布された資料では薬師堂は「大師堂 文化8年(1811年)」が建てられた後に建造されたと記されています(2017年5月19日の国重文答申資料でも19世紀前期建立と)。大師堂建設年代を理解し易くとして当日配布された資料、「四国遍礼名所図会 寛政12年(1800年)」には、確かに本堂横に並び建つ太子堂は未だ見当たりません。それに比べて「讃岐国名勝図絵 嘉永6年(1853年)には太子堂が本堂に並んで描かれているので太子堂はこの間に建造されたことは理解できます。ところが、1800年の絵図には未だ建っていない筈の二層に見える薬師堂がはっきりと描かれています。絵図を根拠に建設年代を推定すると「18世紀」には既に建てられていたのではないかと素人の私には思えるのですがどう理解すればよいのでしょう。
名前 |
白峯寺 薬師堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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2022/7/30来訪。【重要文化財】:19世紀前期建立、二層の造り。中央に薬師如来、脇侍に日光菩薩と月光菩薩、手前に眷属の十二神将、向かって左側に金剛界大日如来、向かって右側に胎蔵大日如来を安置するがすべて秘仏。ウィキペディアより。