穴場のパワースポット、延喜式内社。
大兵主神社(穴師坐兵主神社)の特徴
倭姫命が祀られている穴師坐兵主神社は歴史が深いです。
延喜式名神大社としての神社の由緒ある存在感が魅力です。
細い道を進んだ先にある穴場のパワースポットです。
第11代垂仁天皇2年、倭姫命が天皇の御膳の守護神として祀ったのが穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)といわれています。または第12代景行天皇が即位58年、皇子・稲背入彦命に命じて大和国穴師に八千矛神を祀らせ、これを「兵主大神」と称して崇敬したともいわれます。兵主神は武を司り、各地の兵主神社に祀られている神様です。兵主神の名は記紀には全く登場せず、『日本三代実録』(901年)最初にその名が見えます。また、『史記』封禅書に載る神々の中に「兵主」という神があり、元々は中国の神といわれます。日本では兵主神社に祀られる大己貴命や素戔嗚尊などを指します。兵主神を祀る神社は日本全国に約50社あり、延喜式神名帳には19社記載されており、兵庫県北部の但馬国に鎮座する7社を中心に、山陰地方に集中しているといわれます。その中で名神大社は大和国穴師坐兵主神社、壱岐国兵主神社、近江国兵主神社(滋賀県野洲市)の3社です。なお、相撲発祥の地で野見宿禰を祀る相撲神社は摂社となります。
県立図書情報館 千田稔館長によれば本来の祭神は、新羅王の子アメノヒボコとしている。半島に移りまた日本に戻ってきた神とも言われており、大神神社に祀られている大物主に劣らぬ偉大な神で、建国の一翼を担ったであろう。末裔には神功皇后が登場する。巻向山の中腹に静かに鎮座し、大和の国を見守っている。社域は大きくはないが氏子からの尊崇が感じられ、威厳も感じる。
まさに穴場のパワースポットといった感じ。紅葉が素晴らしかったです。歴史の重みも感じました。ただ途中の案内看板もほとんどなく辿り着くのに苦労しました。このまま寂れるのは勿体ないので色々試してみて欲しいです。
古い謂れのある神社で、延喜式名神大社ということですが、交通が不便で訪れる人は少ないと思います。山辺の道ハイキングの際におまいりするのがいいかとお思います。なお付近にトイレはありませんのでご注意ください。(山の下の方約500mに公衆トイレあり)
細い道の奥まったところにひっそりと佇む神社です。少し寂れていますが本殿・拝殿は立派な建物です。もっと賑わっても良さげに思いますが檜原神社などに比べると知名度が・・・。とても親切な神主さん宅でご朱印を頂きました。
〔ホツマツタヘ〕―秘められた日本古代史( 松本善之助著、毎日新聞社 )を読んで一度来てみたいと思ってました。古代、猿田彦(役職はオオモノヌシ、椿大神社に祀られている)の子孫であるオオタタネコ(役職はオオモノヌシ)が祀られています。「穴師」は「他無し」で他に無く秀でて「坐」おられると云う意味で、「兵主」は「つわものぬし」と読みます。纏向遺跡が近いのですね。また来たいです。
平安時代に編さんされた神名帳「延喜式」に掲載されている神社、いわゆる式内社(名神大社)です。創建年は不明ですが、第十一代 垂仁天皇の時代とも言われているそうです。主祭神である兵主神は食べ物を司る神様、御食津神(みけつかみ)であらせられ、剣をご神体とするそうです。神社へは若干アクセスしづらいですが、静かで非常に綺麗な神社でした。境内の清掃もとても行き届いて、厳かな気持ちで参拝できました。
相撲神社を少し山のほうに5分ほど歩いていくと穴師坐兵主神社につきます。相撲神社のところに穴師神社という鳥居が駐車場横にあったのはそのためですね。なんかトトロの森に来たような感じの神社でした。ただ、御朱印は神主さんのご自宅に行かないといけないのですがチャイムを押しても不在だったみたいで、御朱印はいただけませんでした。相撲神社の御朱印もいただけるそうです。
延喜式内の名神大社です。他の神社に行く100倍のご利益がありますが、まったく商売ケがありません。壊れた社務所の屋根を見ると悲しくなります。宣伝はしなくていいけれど、アクセスだけは確保してあげてほしい。国の宝ですから。
名前 |
大兵主神社(穴師坐兵主神社) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-42-6420 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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周辺の道幅は狭く、運転に不慣れな方は注意が必要です。駐車場は神社の手前に数台のスペースがあります。