桜映える内山永久寺跡の癒し。
内山永久寺跡の特徴
約百十年前まで存在した、内山永久寺の歴史的な寺跡です。
廃仏毀釈の影響で、池だけが残る静かな史跡となっています。
松尾芭蕉が身を寄せた、情緒あふれる場所であることが特徴です。
寺跡には池しか残っていない。学生時代の同級生が歴史研究クラブで、お寺の再現ジオラマを作成していたのを思い出しました。今思えば、ほとんど関心がなかったのに、義理立てみたいなニュアンスで展示を見に行った自分が恥ずかしい。ややほろ苦い思い出に耽りました。
「山の辺の道」の立ち寄り史跡で石上神宮から最初の観光スポットです。幕末〜明治始めの廃仏毀釈により廃寺となった大和を代表する大寺院跡だそうです。神宮に移築された割拝殿が国宝だったりするので何かしら期待しますが特に何もなく果樹園やビニールハウスが並ぶ所で唯一寺院らしい池も冷静に見ると普通の溜池です。平坦に整地された院や坊の区画や門跡の土塁などは良く残っています。休憩所(ポケットパーク)付近の平坦地が割拝殿などがあった中心部ですが西の日光と並び称された寺院とは到底思えない狭さです。芭蕉が若かりし頃訪れて桜の美しさを詠んだ句の石碑が立っていました。当時の古木は無いようで池の土止めの桜が当時の面影を伝えてくれています。山の辺の道から外れますが池から西に向かって伸びる農道の途中には歴代住職の供養塔が並んでおり冬時期には結構見通しが良くて寺跡全体を見渡した感じがします。そのまま進むと都祁山口神社へ出られますが国道25号線で分断されています。石上神宮からだと次は天理観光農園〜夜都伎神社へと進むのも良いのですが新たにできた国道25号線沿いの「なら歴史芸術文化村 」が近くなので「石上神宮〜なら歴史芸術文化村〜夜都伎神社」と見学しないのもオススメです。お土産店もあるので帰りに寄りたい場所ではあります。朝夕と運行時間が限られますが天理駅への直行バスや予約制のバスもあり便利です。車で通れる道はありますが駐車場は無いです。無料で駐車できる道の駅(文化村)などが数カ所ありますのでそこからの徒歩です。石上神宮や文化村などに駐車する方も見かけますが山の辺の道(杣之内)駐車場が観光用の無料駐車場です。永久寺は天理教の教祖とも縁のある寺院で廃仏毀釈で廃寺になった当寺院と明治時代の宗教法人化の流れの中で地域一帯を宗教都市化した新興宗教との歴史を知るには良い所です。
平安時代末期の永久2年(1114年)に鳥羽天皇の勅願により創建された寺ですが、現在は、本堂池だけが残っている状態です。場所は、石上神宮から桜井、柳本方面に約15分(約800m)歩いた所です。休憩できる小さな場所があります。
石上神宮の神宮寺だった内山永久寺は、法隆寺に次ぐ寺領の古刹だったといいます。しかし、今はもう池と松尾芭蕉の俳句と石碑や看板しか残っていません。本堂があった場所に見晴台があるくらいです。そこから眺める景色は、100年前とは全く違うものなのだと思うと寂しい気持ちとなります。廃仏毀釈の本によると、内山永久寺の僧侶たちは早々に寺を見限って石上神宮の神官となったと書かれています。役人が来た際には、仏門を去って神道に入った証拠に薪割りで仏像を頭から叩き割って役人を引かせたというエピソードも‥。
廃仏毀釈により、国宝級の至宝が多数破壊されあるいは散逸したという。以後「神」に仕えるその証しとして、本尊の文珠菩薩を薪割りで「一撃を喰はした」僧までいたらしい。彼には還俗後の自らの保身しかなかった😩😡当時の住持がそれらを守る気概と厚い信心があれば、大御輪寺の十一面観音や地蔵菩薩の如く他寺に移されながらも、ここの仏たちは生き残ることが出来たかもしれない。少し奥にある高台から大伽藍があった場所を望み、ちと感傷に浸る。
明治時代の廃仏毀釈で消滅した大寺院痕跡は池以外ほぼ無く、柿の木畑になっています。寺院の中を山辺の道が通っています。
かつて「西の日光」とも言われたそうですが、今は文字通り「永久」に消滅した大寺院の跡です。寺の跡らしきものは、池ぐらいでしょうか。その他は私有地なのでよくわりません。車で行けますが、結構道は細いです。ポケットパークの前の路肩に車1台ぐらいは駐車できるスペースはあります。但し。引き返す場合は何回か切り返しを行う必要があります(運転が不安な方は徒歩で行くのが無難です)。
松尾芭蕉が若かりし頃、一時身を寄せた寺です。今では池のほとりに石碑と説明版があるだけですが、かなり大きな伽藍をもっていたようです。適度に小高い場所にあり二上山に沈む夕日がきれいに見えます。
昔の繁栄した跡方も池しか感じられず複雑な気持ちになりました。
名前 |
内山永久寺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0743-65-5720 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
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ここに、東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ寺領をお持ちだったお寺さまが、約百十年前まであったそうです。