五輪書執筆の神秘、霊巌洞。
雲巌禅寺 霊巌洞の特徴
宮本武蔵が五輪書を書いた、歴史ある洞窟です。
異次元に感じる静かで厳かな雰囲気が魅力的です。
駐車場は雲厳禅寺が近く、訪問も便利です。
お寺の境内に受付があります。ご住職が英語を使って外国人に説明してました。平日でしたが私たち以外に4組ほど観覧されており、そのうち半分は外国人でした。みなさん「こんにちは」と挨拶してくださいました。岩窟まで段差の多い岩場~山道を歩きます。距離はさほどありませんが、滑りやすいためスニーカー&歩きやすい格好で行かれてください。羅漢像は劣化や地震でクビがもげてるものもありますが、苔がつき、歴史を感じさせてくれます。写真では伝わりにくいので実際に行かれると、長年奉納されてきた方のロマンや人柄が感じられるかと思います。岩窟は、まさに海水での侵食で出来たであろう形相です。ここで武蔵が五輪書を忍ばせていたかと思うと感慨深いです。
剣道の試合の帰りに行きました。大人300円小学生は100円だったかな?雨上がりだった為、足場が濡れていて苔が生えている為危なかったです。奥に霊巌洞があり、急な階段を登ります。小さなお子様連れは大変かと思います。
雲巌禅寺(うんがんぜんじ)霊巌洞:岩戸観音熊本城から西に直線距離:約8km、旅行者いない。車:往復1時間、参拝1時間、入場料:300円だったかな。剣豪:宮本武蔵が晩年こもったところです。『五輪書』をここで書いたとされています。五輪書は兵法書、剣法書ではない。宮本武蔵は2代細川忠利の客人です。肥後国(熊本);細川藩の剣術は『柳生新陰流』。『上泉伊勢守信綱:新陰流の流祖』より、十三代将軍:足利義輝と共に細川藤高(幽齊)が指南を受け、長男、細川忠興(初代)の三男:忠利(2代目)は徳川家の人質時代『柳生新陰流』に師事した。また、加藤清正の要請で『柳生新陰流』柳生利厳が仕官した。肥後:球磨地方は、上泉伊勢守信綱の四天王:『丸目蔵人:タイ捨流の流祖』が晩年住んでいます。【注意】足利義輝は『塚原卜伝』から奥義を受領した話もあります。塚原卜伝・上泉伊勢守信綱、共に諸国を巡っています。対戦の話はない。宮本武蔵は上泉伊勢守信綱の弟子の柳生石舟斎との話あります。塚原卜伝に武蔵が撃ち込み鍋蓋で防いだ話あります。この時代の話は時間を超越し面白い。ほとんど江戸時代の作です。
武蔵塚に続いてコチラも訪問。ちょっと分かりづらい(マップの道案内が)感じでした。通りぞいに武蔵像があり、駐車場もあったのでそこに駐車しましたが、霊巌禅寺までクルマで行かれる事をオススメします😊決して多くの拝観者が居るわけではありません。霊巌禅寺を横に見ながら五百羅漢に進むと、入場料を払い、ゲートを通ります。(ゲートあるんだ…と思いました)足場はあまり良くありません。濡れてる時は気をつけましょう。岩肌に奉納されている五百羅漢を見ながら奥に足を進めます。やがて大きな石灯籠などが目に入ります。そして“霊巌洞”の碑。“感動”です。(史実なら)武蔵はココで五輪書を執筆したんですよ。スゴイですね…。ホントに。慌てて(時間の余裕のない時)赴く場所では無いと思いました。どうぞ、古の剣術家に思いをはせながらじっくり訪れて下さい。
宮本武蔵が五輪書を執筆した場所で神秘的な雰囲気でした五百羅漢は圧倒的でした。
【2509】宮本武蔵が五輪の書を執筆した場所。奥の本堂が洞窟作りになっており、一般的な神社仏閣より修験的な気持ちになる霊験あらたかなる場所。
境内奥の小道を進むと現れる岩窟が霊巌洞。ここで武蔵は晩年、剣と人生の極意をまとめたとされ、洞内にはその姿を模した坐像が安置されています。小さな空間ながら、厳かな空気が満ちています。
宮本武蔵が晩年を過ごした霊巌洞若年から壮年、晩年にかけての彼の心境の変化や変遷がとても気になる。場所で感じた事だけど、人を切った光景が浮かんだ。その後の静の生活になかなか馴染めなかった。籠って振り返りをずっとしてるイメージ。なかなか苦しい人生を感じます。
宮本武蔵縁の地で小さな佇まいの中に日本の歴史が凝縮されたとても神秘的な場所だと感じました。一度は訪れることをお勧めします。
| 名前 |
雲巌禅寺 霊巌洞 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 8:00~17:00 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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霊巌洞4度目!剣道の大会を明日に控えた孫娘、小3を連れてきました。先日、島田美術館で宮本武蔵の独行道をかいたのもあり、早くこれてよかったです!大阪の剣道形研究会のみなさんにもお見せして、来ていただきたくて写真と動画をいっぱいとりました。もちろん、絵手紙のスケッチも五百羅漢をかきました。次の日の大会、3位!姉は2位でした!ありがとう!武蔵⭐️🌟