総社市の歴史、土塀跡探訪!
備中国分寺跡 築地土塀跡の特徴
備中国分寺跡の南門付近には、歴史的な土塀が存在します。
東西に広がる築地土塀跡が見どころです。
岡山県総社市の貴重な史跡、ぜひ訪れてみてください。
021/3/7来訪。空き地に看板が一つぽつんとあるだけです。看板があるあたりに築地土塀があったのかぁと想像しながら見るだけとなります。看板に写真を載せて写真にありしの築地土塀を書き込んだりしたらわかりやすいのではと思います。
案内板のみです。
名前 |
備中国分寺跡 築地土塀跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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「総社市:備中国分寺跡 築地土塀跡」南門の東西に土壁があったそうです。幅は120㎝程度とのことですので、現代と比較するとかなり分厚いです。聖と俗を仕切る宗教的な壁であるほか、防犯上、施設、家族を守る防壁でもあったと思います。この壁ができたころである奈良時代は、地方での反乱や飢饉、天然痘の流行など、決して平和な時代ではありませんでした。これらを憂いた当時の聖武天皇と光明皇后が社会不安や政治の混乱を仏教の力でしずめるため、都には東大寺と法華寺を、地方には国分寺を建立させたといわれています。鎮護の意味合いを考えると、寺院が聖域として機能していなけらばならないはずで、壁というものは大事だったのだと思います。