みかん畑に隠れた古墳。
鬼塚古墳の特徴
鬼塚古墳は5世紀前半に築造された貴重な円墳です。
直径17mの完形円墳は佐世保市内で唯一の遺構です。
宮津町ののどかなみかん畑の中に佇む歴史的スポットです。
宮津町ののどかなみかん畑の中にある古墳です。近年の発掘で青銅鏡や鎧、鉄剣などの鉄製品約200点が出土し話題になりました。5世紀頃のものだそうで、「肥前国風土記」に記述がある、景行天皇の御世にこの地方を支配していたという女王「速来津姫」の陵墓ではないかと言われています。(広田町の三島神社の三島山古墳も速来津姫の陵墓ではないかと言われている)肥前国風土記によると、速来津姫は大和朝廷に反乱の嫌疑をかけられますが、身内や同族が所有する宝玉3つを朝廷に差し出させることで一族が滅ぼされるのを回避します。これらの宝玉は真珠と翡翠ではなかったかと思います。この地方の海は古来より真珠の産地であり、大村湾を挟んだ西海市側では翡翠が産出します。また多良岳山系では顔料として用いられた丹(水銀)が採れ、たたら製鉄も行われていました。そういった富を持ち大陸とも交易していたことが古墳の出土品が裏付けているわけなのですね。また鉄製武具など力を持ちながら大和朝廷と戦争することなく、いち早く恭順しつつも、この地域の豊かな富や利権の全ての手の内を渡さなかった速来津姫はなかなかしたたかな女王だったんだなと感心しました。
駐車場がありません。入口前の路側帯に停めました。
名前 |
鬼塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.7 |
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5世紀前半頃築造で直径17m、羨道と玄室から成る佐世保市内に残る唯一の完形円墳です。2013年の発掘調査では盗掘されているものの、青銅製の変形四獣鏡(国産)1面と鉄剣など豊富な鉄製武具が出土しています。その中でも鉄製甲冑は県内でも初出土で、畿内ヤマト王権との繋がりを示唆する重要な発見みたいです。被葬者は肥前国風土記に登場する土蜘蛛「ハヤキツヒメ」ではと考えられてますが、当時鉄資源を求め、ヤマト王権と共に朝鮮半島に渡った軍人色強い被葬者の可能性も高いです。現地には100M先鬼塚古墳と記した小さな案内標識がポツンと立つのみで駐車場は無く、道が狭いため路駐して徒歩で行くのをオススメします。古墳の場所は少し分かりづらいですが、畑を根気よく探索すれば祠が祀ってあるこんもりとした盛土が姿を現しますw