鳥居と踏切の不思議な出会い。
八幡神社 (八幡大神市姫神社)の特徴
鳥居と踏切が隣接している珍しい神社です。
応仁の乱まで遡る歴史ある場所です。
春先の幻想的な参道が魅力的です。
鳥居の先に踏切があり、またのその先に鳥居があるといった珍しい神社でした! その上、厳かな雰囲気がありとても良い場所でした!
八幡神社(はちまんじんじゃ)は京都府舞鶴市の東部。京都府舞鶴市市場の国道27号線沿い志楽川の河口付近に鎮座する神社。ご祭神誉田別尊市杵姫大神市場にある八幡神社のため、通称八幡大神市姫神社と言われ、国道27号沿いにある社号標からの参道途中にJR小浜線の線路を横断します。境内は上下に四段の構造になっており、高台にある本殿からは志楽川の河口に広がる市場の街並みが見えます。下記は社頭掲示板を転記する。八幡大神市姫神社由緒当神社の祭神は誉田別尊、市杵姫大神を奉祀し市杵嶋姫大神と称せられたり。古老の口伝に依れば、創立の年代等不詳なれど、白糸浜は北海鎮護の要港なり。往昔厳島より市杵姫大神白糸浜の東市場宮ノ谷の御碕に鎮座され、専ら海上の守護神として、御神威赫々たり。奇瑞霊験を蒙る者少なからず大神を海鎮明神と尊称されていたが、中世市杵姫大神の御神託により、宇佐八幡大神を合殿に奉祀してより御神験益々高まり神徳輝きいつしか諸人 八幡神社と称するようになった。爾来繁栄続きたるも、応仁の乱の頃戦禍に依り衰微せるため天正年間中市場城城主逸見駿河守これを嘆き、神殿を修造さる。慶長年間田辺城主細川越中守特に当神社を敬し海防の神として神田を寄進し、11月8日の御火焚神事を復古せられたり。元文4年11月11日領主牧野家大内御殿より木造鳥居を御寄進あり。天命2年5月26日領主牧野豊前守棟梁として神殿を御造営せらる。明治30年正月市場の青年団結し、石鳥居を奉納する。明治32年1月28日八幡神社市杵姫神社の額字を正三位油小路隆薫氏より寄進あり、現在の石鳥居の題字なり。大正2年10月24日神饌幣帛供進及び合計法適用に指定せらる。大正13年敦鶴線工事により境内の一部を買収されたる為、境内の拡張工事を起こし、氏子一同の寄進に依り大正13年7月に現在の境内が完成する。(2021/2/20撮影)
鳥居と鳥居の間に踏切がありますが、説明書きにもあるように、応仁の乱くらいまでさかのぼれる歴史があるようです。古い狛犬は、風雨でかなり丸くなっていました。雨上がりに伺いましたが、杉林や苔むした境内には、歴史ある雰囲気が感じられました。
春先に行ったのですが、少し短い参道に踏み切りが挟まれていて、ちょっと幻想的。境内は濃いみどりの苔で覆われていて、狛犬も顔が削れていて、無人で寂しげでもあるけど風でしゃらしゃらと竹の葉が鳴る音が聞こえて心が洗われる感じがします。
名前 |
八幡神社 (八幡大神市姫神社) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

線路を跨いで行く珍しい神社です。