応仁の乱発祥の地、心しずめ。
御靈神社 (上御霊神社)の特徴
応仁の乱発端の地として歴史的意義が深い神社です。
こころしづめなどのオリジナルのお守りが人気を集めています。
鳥居や境内に歴史を感じる石碑が立ち並ぶ静謐な雰囲気です。
歴史ある神社。応仁の乱の前哨戦、御霊合戦が発生した場所のため、応仁の乱発祥の地の石碑があります。御朱印は、書き置きのみの対応となります。
本当に久しぶりに上御霊神社にお参りしました。進駐軍の将校が接収していたお屋敷の通りから入りました。門前の「唐板カライタ」屋さんが開いていたので買いました。懐かしい味です。ひょっとして八ツ橋の先祖様なのかな?美味しいです。絶対にお勧めします。コインパーキングに車を入れようとしてふと前を見ると「参拝者の方は境内に」と言う文字が見えました。ロックに乗り上げる前なので知らん顔して出て境内に入りました。車を止めた絵馬堂で「いちはつの会」がイチハツアヤメの苗を販売していました。販売というよりも寄付するとイチハツをいただけると言うことです。上賀茂神社の隣の大田神社のカキツバタと並んで五月を教えてくれます。50年がかりの大修理が完成したそうです。境内もすっかり綺麗に囂々しくなりました。三基の神輿は出雲路郷の屋根にXが目立つのを真ん中に小山郷と今出川口が並びます。今日5月1日は神幸祭。境内を神主さんが回っていました。神輿が賑やかな還幸祭は18日です。18日には出店が並ぶそうです。昔は六の日に夜店もありましたが、今はどんなか見たいですね。今は18日にフリーマーケットがあるそうです。この日は忙しいのですぐに失礼しました。追記。18日にも参拝しました。うまく神輿に間に合いました。さすが京都の神輿は上品でした。地元民だけでやれるなんてまだまだ町民の力もたいしたものです。菊鉾、剣鉾、神輿が続く。立派な牛に皆様歓声をあげていました。ところでお宮さんの前の銭湯♨️はとっくの昔に火事でなくなったそうどす。私らも浦島太郎やな。
アヤメ科の中で、一番に咲くと言ういちはつを観に行きました。元々水路であった所にアヤメがあったのですが、空堀になりました。そこに近隣のご有志の方々が陸生のいちはつを植えられ群生が復活したと聞いています。神霊を鎮めるために天皇の勅願により造られた神社です。ご利益は、鎮霊(こころしずめ)5/18の祭日は、鉾、神輿、御所車(牛車)の行列がある。また毎月18日(5月を除く)には、囀り市(フリーマーケット)があります。境内の御霊の森は、応仁の乱の発端となった地であることでも有名です。
室町時代に畠山政長が御霊の森で畠山義就と戦ったことから「応仁の乱」発祥の地と言われている神社で不安やストレス、緊張、苛立ちなどをしずめるご利益がある神社です心鎮める御守が人気があり薄緑地に「こころしづめ」、ピンク地に「こころなごみ」とそれぞれ記した巾着型のほか、カード型の計3種類があります京都府立植物園行った時に寄らせて頂きましたが、ふらっと歩いて至る所に歴史的スポットがあるのは流石が京都ですね。
地元の方に、いちはつがもう咲いているかもよ!と教えてもらって行ってきました(4/22)ぼちぼち咲いていました!あと1週間くらいで見頃かな?⛩️ごりょうさん⛩️入った瞬間から空気が澄んでいて心落ち着く神社でした。観光客もいなくてとても良かった!!お神輿も立派💫🚙境内に停めれました。
境内は緑が豊かで5月はいろんな花も咲いています。住宅街の中なのでとても静かで落ち着きます。細川護熙元総理揮毫の応仁の乱勃発地の石碑が境内にあります。
最近某YouTube動画にハマって室町時代の戦いに興味津々なんです。御霊の戦いってどこであったんや?って検索して御霊神社に初訪問しました。畠山義就vs畠山政長が応仁の乱の前哨戦で戦った場所です。この戦い自体は畠山義就が勝ったんやけど将軍の足利義政が禁止してたのに山名宗全が畠山義就を支援して細川勝元は畠山政長を支援しなかった事で勝負が決まった。そこから応仁の乱にまで発展したんやけどこの畠山家の家督争いは明応の政変でも絡んでいて畠山政長はその時に切腹したんやけど十数年間続いてるグダグダな展開ですね。応仁の乱の前後から明応の政変ぐらいまで大河ドラマでやって欲しいわ。とりあえず御霊神社の御祭神は早良王??この人って怨霊や無かったか?長岡京に遷都するとかあの辺やったと思うんだが怨霊でも祭られるって日本人のこう言う文化って面白いよな。
大学がいくつか所在する中で、静かに佇んでいるような寺社。しかし、実は不遇のうちに亡くなった高貴な方々の怨念を鎮めるために設けられた神社です。そのかいもなくというか、応仁の乱の火蓋が切られた所でもあります。昔、大学院に通っていた頃は、研究疲れの時にじっと静かにここの空気を吸って、鋭気を取り戻すきっかけにしたものです。そんな不思議な癒やしの場でもあります。
京都には御霊神社という名の神社が2つあり、御所南の下御霊神社に対してこちらは上御霊神社と呼ばれます。創建は平安初期にさかのぼる由緒ある神社。境内は至って静かですが、応仁の乱勃発の地という石碑(あの細川護熙元首相が揮毫したもの)が目立ちます。正確に言うと応仁の乱の前哨戦となった畠山家の内紛(御霊合戦)が1467年にここで勃発したとか。京都の街が灰燼に帰した大乱を経て、この神社が変わらぬたたずまいを見せているのも不思議な気がします。
名前 |
御靈神社 (上御霊神社) |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-441-2260 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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応仁の乱の発端の地で、早良親王などの神霊が祀られてます。寺町丸太町にある下御霊神社とは場所が全然違うので注意です。早朝に行きましたが、お参りされている方がポツポツいらっしゃいます。境内は広くて森の中のような落ち着いた空間になってます。