静かに感じる加具土大神の御利益。
佐和良義神社の特徴
定期的に参拝することでご利益を感じられる場所です。
さくら祭りの時期は露天が並び賑わいを見せます。
加具土大神を祀る、静かな雰囲気の小さな神社です。
なんとなく参拝しただけだったのですが後々調べたらどうやらこの神社の北に東奈良遺跡という環濠集落跡があって、そこから銅鐸の鋳型が30以上発見された凄い遺跡で、古代の銅鐸の工房がある場所だったらしい。この鋳型で作られた銅鐸が西日本で多く見つかっているので全国に配るくらいの勢力があったみたいです。この神社の神様がカグツチさんで、金属製造に関係するとも言われてるのでこの銅鐸工房があった集落の神様だった可能性があるみたいですなんでもない普通の神社に見えて実は凄いところなんじゃないかとこの神社から北西に少し行ったあたりに茨木市立文化財資料館があって発掘された物や銅鐸の鋳型とかも見れるので合わせて見るのがおすすめです。
駅名や現在の地名は沢良宜となってますが神社は佐和良義と書くのですね旧茨木川の遊歩道を歩いていると突然神社の境内がでてきます。
定期的に参拝してるが、なんやかんや仕事続けられてるので、ご利益はある気がする。
普段は人気の少ない神社です。2024/6/27通りかかったら、ムラサキクンシランが咲きまくっていました。ついついカメラでパチリ。
普段は人気の少ない神社です。2024/6/27通りかかったら、ムラサキクンシランが咲きまくっていました。ついついカメラでパチリ。
佐和良義(さわらぎ)神社、通称は「大宮さん」⛩御祭神は諸説あるようだが、現在は加具土大神とされる。八幡神社の立派な鳥居もあることから一部境内を八幡神社と共有しているのか?或いは摂社として八幡神をお祀りしているのかは不明である。
さくら祭りの時期は露天がならび多くの人で賑わう。金魚すくいもかなりの数の金魚が泳ぎ、子どもたちは大興奮。
普段は人のいない小さな神社。しかし、桜まつりの時期には、出店が出て昔懐かしい光景になる。
御祭神:加具土大神創建は不明です。社伝によれば延喜式内社と伝えられているため延長5年(927)以前には鎮座していたと思われます。参道は長く、厳かな神社でした。拝:2021/10/01
| 名前 |
佐和良義神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-622-8689 |
| HP |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai2shibu/ibaraki-city/02037sawaragijinja.html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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佐和良義神社(さわらぎじんじゃ)。大阪府茨木市美沢。式内社(小)、旧村社。主祭神:加具土神(カグツチノカミ、火の神)【関係氏族】佐和良臣『新撰姓氏録』河内国皇別に武内宿祢の子、平群都久宿祢の後裔であるという「早良臣」(佐和良)が記載されている。資料によると、この地は茨木川と安威川にはさまれた低湿地である、北300mに彌生時代から室町時代にかけての複合遺跡である東奈良遺跡がある。祭神加具土神は火の神であり、東奈良遺跡は、彌生時代に銅鐸などを鋳造する所であつたと考えられるが、これが火の神として祀られるようになつたとも考えられる。カグツチのカグとは銅の古語であり、また社名のサワラも銅器を指すとする説もあります。一方で境内には「天児屋根命」と刻まれた灯籠があるようで、天児屋根命を祀っていた時期があったようです。当地周辺は「阿為神社」や「太田神社」など中臣氏関係の神社が多く、また藤原鎌足の墓であるとする説のある「阿武山古墳」もあり、古くから中臣・藤原氏と関係の深い地でした。また中世以降も興福寺・春日大社の荘園となり、変わらず藤原氏と関係のある地であり続けたようです。このため創建当初からなのか時代が下ってからなのかは不明ながら、天児屋根命を祀っていたのも然るべきだったことでしょう。明治5年(1872年)村社に列す。明治40年(1907年)8月の豪雨で川が決壊し社殿が流失。大正6年(1917年)に本殿、拝殿、器具庫を再建。大正5年5月28日、神饌幣帛料供進社に指定される。とあります。