源氏物語ゆかりの雲林院。
雲林院の特徴
雲林院はかつて淳和天皇の別荘があった場所です。
源氏物語や伊勢物語の舞台として知られる歴史的なお寺です。
大徳寺の塔頭で、十一面千手観世音菩薩が安置されています。
2024年 3月10日 第58回京の冬の旅雲林院雲林院の起こりは、平安時代初期。第53代・淳和天皇が、狩猟場となっていた紫野に離宮「紫野院」を造営したのが始まりです。その後、紫野院の名称は「雲林院」となり、仁明天皇の皇子・常康つねやす親王によって、千手観音を安置する寺院に改められました。
近くの大寺院大徳寺よりも古くからある寺院で、源氏物語の舞台にもなったそうです。かつての寺領は広大で現在の大徳寺もその一部だったようです。その面影は今はありません。
大徳寺前交差点を南に行った東側にあるのが臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭である「雲林院(うんりんいん)」になります。◇観音堂の右手奥には、南地蔵大菩薩の赤い提灯が賑やかな地蔵尊の祠がある。観音堂の前には、賓頭盧尊者の祠がある。また、境内の奥には朱色の鳥居があり紫雲弁財天が祀られています。何回か訪問していると色々な発見があるものですね。【雲林院の創建から現在までの流れ】◇平安時代に淳和天皇の離宮として造営された広大な敷地を誇る天台宗の寺院で菩提講で名高いお寺でした。現在は、大寺院の面影はなくこじんまりとした町中のいい感じのお寺です。広大な敷地を誇る天台宗の寺院であった雲林院も鎌倉時代に入って衰退したが復興され、大徳寺の塔頭となった。天台宗から禅寺となった。その後、応仁の乱の兵火により廃絶した。◇現在の雲林院は、江戸時代中期にかつての寺名を踏襲して、再建されたものになる。尚、現在の境内に本堂はなく、堂宇として再建された観音堂が残る。観音堂には、「十一面千手観音菩薩像」「大徳寺開山大燈国師像」が安置されています。◇近年、かつての寺域であった場所の発掘調査が行われており、雲林院の往時の遺構(建物跡や井戸跡)が発掘されて平安時代の雲林院の姿が少しずつわかってきています。◇雲林院は、『源氏物語』ゆかりの地の一つで、物語の中に雲林院がモデルしたと考えられるシーンが登場している。また、かつて雲林院境内にあった大徳寺塔頭の真珠庵に「紫式部産湯の井戸」があった。紫式部はこの周辺で生まれ育ったとされ、その名も、雲林院の建つ紫野に由来するといわれ、紫式部とのつながりあるお寺です。2025年9月。
2024年3月10日に参拝しました。大徳寺の塔頭ですが、北大路通りを渡った南側に位置しています。当時は、広大な境内を有する大寺院でしたが、現在はその面影はなく紫野雲林院町の街並みに溶け込み、境内はゆっくりとした時間が流れていました。紫野雲林院町は、紫式部が生まれ育ったとされる地であり、源氏物語にも雲林院を彷彿させる場所や情景が描かれています。また、晩年を過ごしたのも雲林院との説がありますので、紫式部ファンや文学ファンの聖地になっているようです。
地下鉄北大路から徒歩15分に有ります。淳和天皇の離宮、紫野院として造営されたのが始り、その後、仁明天皇の離宮、やがて皇子の常康親王に譲られ、親王が亡くなった後、869年に偏昭が招かれ雲林院となる。因みに偏昭は花山天皇が出家した山科の花山に”元慶寺"を建立した僧で、この雲林院の別当として、つまりは兼務して管理していた様です。境内に有名な百人一首の歌が石に刻まれています。「天つ風雲の通い路吹き閉じよ おとめの姿しばしとどめむ」と…鎌倉時代迄は天台宗の官寺として栄華もやがては衰退、その後、大徳寺の塔堂になるのですが応仁の乱による焼失。現在の建物は宝永4年(1707)の再建、臨済宗大徳寺派の寺院として現在に至ります。紫式部はこの辺りで生まれ育ったとされ、名前も紫野に由来すると言われています。雲林院は源氏物語の"第10帖賢木”にも登場、光源氏は雲林院に籠り祈願、天台60巻を読みすすめる場面も出て来ます。紫式部は晩年を雲林院で過ごした様です。近くに(4分)墓所の案内も有ります(駒札)紫式部が生涯この紫野を心の拠り所にしていたことが解ります。雲林院+墓所のセットで訪れる事をお薦めします😊
京都府京都市北区紫野雲林院町23にある雲林院です。紫式部が晩年過ごしたと伝わっています。因みにお父さんの藤原為時は、滋賀県大津市の三井寺で出家しています。式部の父、藤原為時は七十歳を過ぎて三井寺に出家しています。三井寺は為時・紫式部一家には縁の深い寺で、式部の母の兄弟が三井寺の僧侶になっています。雲林院は、平安時代の紫野の史跡であり、この付近一帯は広大な荒野で、狩猟も行われていたそうです。淳和天皇(在位823~833)は、ここに広大な離宮紫野院を造られ、度々行幸された。桜や紅葉の名所として知られ、文人を交えての歌舞の宴も行われた。後に、仁明天皇皇子常康親王(つねやすしんのう)に伝えられる。貞観11年(869)に僧正遍昭(そうじょうへんしょう)を招き雲林院と呼ばれ、官寺となった。寺としての雲林院は菩提講が名高い。歴史物語「大鏡」は、この菩提講で落ち合った老人の昔物語という趣向で展開する。「源氏物語」「伊勢物語」にも雲林院の名は現れ、「古今集」以下歌枕としても有名で、謡曲「雲林院」はそうした昔をしのんで作られています。鎌倉時代には、雲林院の敷地に大徳寺が建立された。現在の観音堂は宝永4年(1707)に再建され、十一面千手観世音菩薩像、大徳寺開山大燈国師像を安置しています。アクセスは、北大路駅2出口から徒歩約14分鞍馬口駅2出口から徒歩約16分今出川駅1出口から徒歩約24分。
広大な荒地に「離宮紫野」が出来て、その後に官寺「雲林院」が出来て、「源氏物語」「伊勢物語」等にも登場。鎌倉時代に敷地内に「大徳寺」が出来た。と案内板に在りました。案内板にさり気なく西行さんの歌が。
大徳寺近くの老舗「大徳寺納豆一久」から横断歩道を渡ってまっすぐ進んで5分ほどで着きます。雲林院は「源氏物語」を始め、「枕草子」「伊勢物語」にもその名が登場する由緒ある場所ですが、あまり知られていない…穴場です。境内は広くはないですが、紫式部が雲林院周辺で生まれ育ったとされ、紫野という地名になったという話もあるので、紫式部が好きな方には魅力的な場所かもしれません。夏は花が綺麗です。
今の雲林院は、1324年大徳寺の塔頭になり応仁の乱で廃絶後1707年に寺名踏襲の上再建十一面千手観世音菩薩と大燈国師が安置されこじんまりしています。創世期の頃が知りたくて伺いました。今の雲林町を越える狩猟も行った広大な荒野に桓武天皇の皇子淳和天皇が風雅を楽しむ社交の場として造営した紫野院の頃です。のち桓武天皇の孫僧正遍昭が雲林院とし、この頃西行の歌の中に雲の林の寺の記述(満開の桜)が桜の名所であった事が伺えます。今は民家やマンションが建ち残されたものはありませんが、有栖川 御所橋 南大門 西門 堀川 等想像しながら散歩してました。過去に戻る事は不可能ですがゆっくりしました。
| 名前 |
雲林院 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
075-431-1561 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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もともと大徳寺はこの雲林院の境内に建てられたお寺だったのだそう。大鏡、伊勢物語、源氏物語にも語られる古刹。ひっそりとして落ち着いたお寺でした。