神功皇后両親を祀る唯一の神社。
野波神社の特徴
日本で唯一、神功皇后の両親を祀る神社です。
上宮と下宮で異なる神を祀る貴重な社殿があります。
県道275号線沿いにあり立派な門が目印となっています。
神功皇后の両親を祀っているのが野波神社下宮で近くにある。この神社は北山ダム建設で移設されたようです。
上宮と下宮で祀られる神が異なる社で、下宮には神功皇后のご両親が祀られる日本では唯一に近い神社です。應神天皇がこの地で産まれたという伝承地の一つでもあり、誕生日は1月7日であったと伝わります。神功皇后が産まれた土地でもあるため、実家で出産したとなると信ぴょう性が増す気がいたします。三瀬村の立地は、古代の要衝で伊都国、早良王国、吉野ケ里、武雄王国、葛城王国に繋がる街道沿いにあります。この地から、新たな視点で筑前肥前を感じる事ができます。尚、下宮は個人の敷地にあるため、お参りは注意が必要です。マナーを守ってご参拝ください。
上宮と下宮で祀られる神が異なる社で、下宮には神功皇后のご両親が祀られる日本では唯一に近い神社です。應神天皇がこの地で産まれたという伝承地の一つでもあり、誕生日は1月7日であったと伝わります。神功皇后が産まれた土地でもあるため、実家で出産したとなると信ぴょう性が増す気がいたします。三瀬村の立地は、古代の要衝で伊都国、早良王国、吉野ケ里、武雄王国、葛城王国に繋がる街道沿いにあります。この地から、新たな視点で筑前肥前を感じる事ができます。尚、下宮は個人の敷地にあるため、お参りは注意が必要です。マナーを守ってご参拝ください。
ニの鳥居は肥前鳥居。老朽化しているが二層式の楼門もある。
無人でかなり年季の入った神社です。今にも崩れそうな木造建造物であること以外には特徴なし。おみくじやカランカランもありません。
野波神社です。駐車場🅿有りトイレ🚻無し車椅子♿は境内までは軽自動車で登れるようですが拝殿前には階段があり難しく登り坂も勾配がきついので難しく思います☹玄界灘側の北部九州には神功皇后伝承が色濃く残されていますが、脊振山地をまたぎ脊振山地南山麓と有明海沿岸から筑後地方に掛けて神功皇后伝承は徹底的に消されていることは北部九州、佐賀、久留米、筑後にお住まいの方であれば、お気づきになると思います🐈御祭神仲哀天皇神功皇后武内宿弥淀比咩大神(淀姫神)仲哀天皇と神功皇后はご夫婦ということは皆様もご存知のことでしょう、この野波神社の由緒によると神功皇后が仲哀天皇をお産みになられたとあります😮仲哀天皇と神功皇后のお子様が応神天皇であるのが正史とされていますよね🤔勘違いで書かれたのかな?それとも真実をわざと伝えようとしているのかも知れません☺武内宿禰と神功皇后の間に産まれたのが仲哀天皇………仲哀天皇と神功皇后の間に産まれた応神天皇は福岡宇美に重要な神社がありますので応神天皇はここで間違いないです。野波神社の祭神の並びを見ると応神天皇がいません八幡系と言っていいのか分かりませんが、神功皇后が祀られているお宮はだいたい応神天皇がセットで上がります、野波神社はそれが見えません🐈野波神社は応神天皇をお産みになる以前、三韓征伐より前に創立されたと見えます。西暦268年に創立ですよ!佐賀県背振山南麓は古代王家の御子を養育するのに適した地であったそうです。嘉瀬川上流の上無津呂地区には乳母神社、子安神社があり、この土地は温泉が湧くところで御子を産湯で温めることができたと見られ、乳母神社には神武天皇の銅鏡も出土していることから、そう言われるのですが神功皇后も王家の御子を産むことから、もしかしたらが見え隠れします🐈そして城原川上流の背振渓谷には素戔嗚と櫛稲田姫が祀られている、倉谷神社があります。この嘉瀬川と城原川の上流は北山ダム付近に集まります。素戔嗚系統の支配領域です。🐈神功皇后(息長足媛おきながたらしひめ)の両親を祭神とする下ノ宮が近くにあり、この地域に神功皇后(息長足媛)の伝承が残っています。神功皇后(息長足媛)の系図父・息長宿祢(おきながすくね)母・葛城高額媛(かつらぎたかぬかひめ)息長宿祢(おきながすくね)の父・建南方(たけみなかた)母・奈留多姫(なるたひめ)建南方の父・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)母・瀛津世襲足姫(おきつよそたらしひめ)母・瀛津世襲足姫は素戔嗚尊の子で、神功皇后(息長宿祢)は素戔嗚直系の血筋です。葛城高額媛も素戔嗚尊四世の孫になるので。息長足媛の父母は共に素戔嗚系の流れとなっています🐈伝承からして、神功皇后(息長足媛)は父母が住む佐賀背振の野波の里で生まれ育ったと考えることができますがいかがでしょうか☺神功皇后は滋賀県米原の息長氏の一族であるとか、近江出身であろうなどと通説に沿ったお話がありますが。記紀とは異なることが多々あります。神功皇后を巡られてる方も佐賀にこのような伝承が残されている事を知るべきだと思います🐈野波神社の吉田藤雄氏の神社案内板について吉田藤雄氏の神社案内板の最後の部分の1月7日の「ドンド焼き」の記述では、(写真参照)神功皇后が1月7日の「ドンド焼き」の日に生まれたと、捉えたのは下之宮の由緒からなんですが、1月7日の「ドンド焼き」の朝、神功皇后が産気づき、仲哀天皇が生まれたとされる記述、別の皇子とも見れますが、応神天皇が福岡県宇美の地で出産されているので☺野波では神功皇后の両親が祀られる下之宮がある以上。神功皇后の生誕と考えられるわけです🐈この話が新羅征討後のものであれば、大雀命(仁徳天皇)と菟道穉郎子(応神天皇の子)が祀られ、開化天皇と神功皇后の皇子の出産ととれ、九体皇子の内の皇子が野波で出産されたと考えることもできます。ドンド焼きは福岡県久留米大善寺の玉垂宮の火祭りと似ていることもありますね☺この玉垂命は欠史八代最期の天皇、開花天皇のことで神功皇后の旦那さんです。この開花天皇(高良玉垂命)が祀られているのが久留米の高良大社であり元宮が大善寺玉垂宮です。野波神社概要を見ますと野波神社祭 神 仲哀天皇・神功皇后・武内宿弥 淀比咩大神(淀姫神)西暦268年に創立。社伝によれば、往古、神功皇后が三韓征伐のため筑肥御通過の折、この地に寄られたと云う。明治43年村内の無格社が整理統合され、祭神10柱。手力雄命久久能智命武甕槌命級長津彦命素戔嗚命大雀命菟道穉郎子菅原道真源義経十城別王外合わせて15柱が別神として本神社に合祀された。とあります。国津神と天津神が一緒にされていますね🐈素戔嗚系に天孫系をごちゃまぜ。さすが明治政府といったところです。で。最後に下之宮神社でもお話しますが北山ダム建設で野波神社と下之宮神社はダムの湖底に沈んでいるということ。神功皇后の生誕地とされ。隠され埋没されていく国津神、この国津神は縄文の神でもあります。天津神が譲れと来る前に国の礎を築いた神様。国津神を祀るお宮さんは存続のため天津神を合祀して受け入れないといけない事情があります。存続のため素戔嗚系を保護する意味でも少しでもいいので御寄進とお賽銭をお願いしますね🐈是非行かれてください🐈ありがとうございます🐈
県道275号線を北山ダムのほうに向かって走るとき、立派な門が見えるので気になった神社です。現在ここにあるのは別の場所から移設されたものだそうです。門も社殿も割と新しい時代に作られたようですが、昔に作られたものよりも痛みが早く進行しているような印象を受けました。
北山湖の與止日女神社。
神功皇后ゆかりの神社です。ダムとゴルフ場開発で二回遷座し、元々の場所はダム湖の中になるようです。
| 名前 |
野波神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
横の道を通りかかると、すごく古い神門が見えましたので参拝させていただきました、中には木造の随身様、階段を上がると拝殿前には素晴らしい狛犬様がおられます。ありがとうございました!お杜の下道路沿いの場所に数台停められるスペースがあります、勇気があれば急登しますと拝殿横に車でもいけます。建立年はなんと西暦268年弥生時代初期と有る、、、驚き~