スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
赤倉病院跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
5.0 |
明治時代に出来た赤倉病院と呼ばれた医学校併設の病院(今の大学病院のような物でしょうか)があった場所です。石碑は道路側が表なのでちょっと見にくい位置になっていますが、石碑自体は見つけやすい交差点角です。明治1年(1868年)10月に薩摩藩では漢方医学に西洋医学を取り入れた医学校浄光明寺跡(今の南州神社)に設立したそうです。明治2年(1869年)に西郷さんや大久保さんらが推奨して東京から鳥羽伏見の戦いで負傷兵の治療に活躍した英国人医師のウィリアム・ウィリスを招いて、校長兼病院長に任命したそうです。その後医学校は東京の小石川に移され、病院は滑川沿いの赤レンガ造りの洋館に移されたそうです。ここは窓が小さく倉庫のように見えたことから赤い倉の病院で赤倉病院と呼ばれていたそうです。西南戦争が始まるとウィリスは鹿児島を去り、病院は閉鎖されたそうです。ここでは多くの医学生が養成され、鹿児島のみならず西日本の医学の中心だったそうです。現在鹿児島大学病院の庭にウィリアム・ウィリス業績をたたえる石碑が建っています。口コミの内容は鹿児島市教育委員会事務局管理部文化財課が発行している鹿児島市史跡めぐりガイドブックを参考にさせていただきました。このガイドブックは鹿児島市役所で手に入りますが、県外の方でも市役所に問い合わせると有償で郵送してもらえます。1冊1200円ですが、写真と地図がありとても参考になるガイドブックです。