宇治橋の守護、放生院の魅力。
真言宗 放生院(橋寺)の特徴
宇治橋の由来を記した宇治橋断碑が拝見できるお寺です。
恵まれた立地で、宇治神社からも近くアクセスが便利です。
聖徳太子発願、秦河勝建立の歴史深い寺院として有名です。
放生院(ほうじょういん)通称橋寺は、真言律宗のお寺です。寺伝によれば、推古天皇12年(604)、聖徳太子の命を受けた秦河勝が宇治橋を架けた折、当寺も開創されたと伝えられています。後宇多天皇(1267~1324)より寺領300石を下賜され、宇治橋の管理を命じられたため、それ以降、当寺は『橋寺』と呼称されるようになりました。境内にある宇治橋断碑(うじばしだんぴ)は大化2年(646)に僧道登が架橋したと記しています。日本現存最古の石碑のひとつと考えられ国の重要文化財に指定されています。
真言宗放生院(ほうじょういん)、駐車場なし、御朱印あります。宇治散策でたまたま発見しました。観光と御朱印巡りをしていたので見つけた時はうれしかったです。入口辺りに限定御朱印の案内があります。
宇治川のそばにあるお寺。橋寺という名の通り、宇治橋に関係があるお寺。門をくぐるとモミジの中を階段を上がり、境内に入ります。正面には、十二支の守本尊8体が並ぶ祠があります。本堂には多くの仏様がお祀りされていました。釈迦如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩、不動明王、弁財天通常の御朱印と、秋限定の御朱印を拝受しました。
重要文化財の宇治橋断碑を拝見できます。※有料本堂の拝観は特にやっていないようですが御朱印は頂けます。
21年12月23日に訪れました。橋寺の通称で知られています。推古天皇12年(604年)に聖徳太子の発願で開創したと伝わっています。大化2年(646年)に宇治橋がかけられると、橋を管理する寺となりました。境内の宇治橋断碑(重要文化財)は宇治川に初めて橋がかけられたことを記念する石碑です。見学出来るのは3月1日~5月31日、9月1日~11月30日拝観料 300円今回は拝観出来ませんでした。御朱印もいただけるそうです。
令和4年5月拝観しました。三度目の拝観です。御本尊地蔵菩薩立像の前で説明していただきました。彩色が良く残っています。背中側を見る事は出来ませんがと言って、背中側の写真も見せていただきました。一番最初に訪れた際に(昭和の頃です)素敵なお地蔵様と思ったものです。それから余り拝観する機会も無く。一度だけ非公開文化財の特別拝観で訪れました。その後平成の終わり頃からも拝観して御朱印をいただきたく何度か訪れましたが、やっと拝観することが出来ました。浮島の十三重石塔はこのお寺の所蔵だそうです。
放生院は宇治橋を管理を任された事から「橋寺」と呼ばれる様になったそうです。
通称の「橋寺」は元々宇治橋の管理をこのお寺がされていたことに由来するそうで、境内には日本三古碑のひとつ、宇治橋の由来を記した石碑の断片である「宇治橋断碑」がありました。間近で見るのは別途志納金が必要です。噂の美仏さまは是非拝んでおいた方が良い。
通称の橋寺はかつて宇治橋を管理していたことに由来します。創建は平等院をはるかにさかのぼる大化二年となりますが、何度かの盛衰と火災を経ているため、見ごたえにおいて大きく水をあけられているのは否めません。所蔵する四件の国重文のうち地蔵菩薩立像と不動明王立像は通常非公開、十三重石塔は飛び地境内となる塔の島(宇治公園)にあります。境内にあって常時拝観できるのは宇治橋断碑のみとなりますが、これは日本最古の石碑と推測される貴重な文化財です。断碑の名の通り現存するのは上三分の一ほどで、下三分の二は史書の記述に基づき江戸時代に復元されたものです。十全の状態で残されていれば同時代の那須国造碑と共に国宝指定もありえただけに何とも惜しまれます。石碑なんざ何が面白いのかと思う人はスルーが妥当ですが、摩耗してなお美しい書体が見事であり、そこにそそられる方であれば★四つ分の見ごたえはあると思います。ろくにバスもない那須国造碑(笠石神社)に比べればアクセスも至便であり、石碑初心者の方が手始めに立ち寄るにも便利です。
名前 |
真言宗 放生院(橋寺) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0774-21-2662 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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宇治川のそばにある真言律宗のお寺で雨宝山放生院、通称橋寺さんです。名前のとおり宇治川に初めて橋を架ける時に安全祈願の為に建立されました。ご本尊の地蔵菩薩立像は重要文化財で面長なお顔に非常に綺麗な衣の色彩が残っています。重要文化財の宇治橋断碑(石碑)は日本三古碑の一つで、こ住職さんのお話しと共に拝見できました。