五百年以上の歴史を祀る、五百禩神社。
五百禩神社の特徴
美しい神社で静かな雰囲気を楽しめます。
伊東家累代墓地は圧巻で歴史を感じます。
旧報恩寺の跡に建てられた神社です。
222号線日南市楠原交差点の西側飫肥城下町 酒谷川の対岸にある五百禩(いおし)神社です藩主伊東家歴代を祀る神社です旧報恩寺(伊東家の菩提寺)伊東祐兵公(飫肥藩初代藩主)のために建立された寺が1872年の廃仏毀釈により廃寺となり跡地に同神社が建立されました1876年本殿完成1904年弊殿及び渡殿改築⌘御祭神*大山津美神(おおやまつみのかみ)*伊東家祖先累代之神霊⌘創立1511年と伝わる五百禩(いおし)は五百年祀るという意味で名付けたと言われている*拝殿は桁間3間で切妻造方形の柱材を用いて板敷きになっている*神楽殿は桁行3間・梁間2間で周囲に縁を廻らす入母屋造開放的な造りで印象的でした*国の登録有形文化財(2010年指定)本殿・拝殿・石堀・石垣・石橋現在 神社本庁13期教化指定モデル神社となっています近くに有名な飫肥城下町があることで見落としがちな神社ですが流石に国有形文化財だけあり厳粛な雰囲気でした2025.7.14
飫肥藩伊東家の菩提寺・報恩寺跡に建立された神社です。明治初期の廃仏毀釈のおおりを受け廃寺になりますが、伊東家歴代の墓地は本殿裏手に現存します。画像の7つ並んでいる左から4番目の1つだけ小さい墓碑が初代藩主・祐兵のものです。その向い側にある墓石の末尾に和尚と彫られている墓石が祐兵の父・義祐のものです。
「五百禩」は「いおし」と読み、代々大切にされてきた伊東家菩提寺が、廃仏毀釈によって神社に変わる際に、最後の藩主が、伊東家の五百年以上の歴史を祀る(禩る)意味を込めて、名付けたそうです。歴代墓所へは、お社の左手から向かいます。仁王様が守っており、小雨の日だったからか、しっとりと静寂が漂う神聖な空間でした。鳥居をくぐった先の小さい石橋が、ちょっと滑りやすいため、雨の日はご注意を。
静かな神社でした。
美しい神社でした。感謝の気持ちを伝えてきました。
伊東家累代墓地は圧巻です!
元々、飫肥藩主伊東家の菩提寺である報恩寺でしたが、廃寺後、今の神社が建てられました。旧報恩寺の庭園遺構が残っていますが、山の斜面に石橋が掛かっているのが非常に珍しいです。駐車場は道路に面した場所にあります。
日向伊東氏の菩提寺跡。
どことなく虚ろな印象のある神社です。御祭神は大山津見神と伊東家祖先累代の御神霊です。五百禩(いおし)というのは500年お祀りするの意味だそうです。
| 名前 |
五百禩神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0987-25-1412 |
| HP |
https://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/2192 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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下記は、主な文化財(建築物)下記は、登録有形文化財五百禩神社石橋及び石垣五百禩神社石塀五百禩神社神楽殿及び拝殿五百禩神社本殿明治/1876/1904改修境内の西奥に位置し、東面して建つ。三間社流造、桟瓦葺。正側面に擬宝珠高欄付の縁をまわす。方柱で、直接に桁を受け、妻は豕叉首とする。内部は板敷で、後方に壇を設ける。建ちの高い外観になり、装飾を抑えた清冽な社殿である。