名前 |
旧報恩寺庭園 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/411/00003919 |
評価 |
3.0 |
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旧報恩寺(きゅうほうおんじ)庭園は日南市内を流れる酒谷川(さかたにがわ)の右岸,飫肥(おび)城下町の外側に位置する。報恩寺は飫肥藩主伊東氏の菩提寺で,天正十六年(1588)に飫肥に入った初代藩主伊東祐兵(すけたけ)によって創建された臨済宗の寺院であった。明治五年(1872)に廃絶したが,その後飫肥藩士族によって板敷(いたじき)村に祀られていた伊東氏の氏神八幡社が遷され五百禩(いおし)神社となった。庭園は,東西に延びる現社殿の軸線上の南側に位置し,急傾斜の露出した溶結凝灰岩の岩盤及びその裾に広がる細長い園池を中心とする。飫肥地区の溶結凝灰岩はシラスが固まったもので,飫肥石と呼ばれる。岩盤の高さは15mほどあり,そこに立石,三連の石橋などが配され,主要な景を成す。特に,立地を活かして岩盤に架けられた石橋は,独特の景観を形成している。飫肥の武家屋敷に造られた庭園の多くは枯山水庭園ですが、こちらは池泉観賞式庭園となり、特徴的な山の裾に三連の石橋が目を引きます。何らかの世界観を表すものかと思われますが、神社の清掃に来られていた地元の方に伺うと「昔はあの橋を渡っていた」と話されていました。(現在は土砂が堆積してしまってます)飫肥藩主の菩提寺に地形を活かして造られた旧報恩寺庭園は,その独自の意匠をよく伝え,近世の南九州地方の造園文化の発展に寄与した意義深い事例であると言えます。