住宅街に隠れた歴史の息吹。
仁明天皇女御 贈皇太后澤子 中尾陵の特徴
住宅地の一角に位置した、歴史の香り漂う陵墓です。
宮内庁管理の皇后稜で、訪れる価値があるスポットです。
日々の暮らしと歴史が交わる、京都らしい風景が魅力です。
住宅に囲まれています。陵は南を正面にして築かれていますが、門が道路に面した東側にあるので中をうかがい知ることができません。周囲をぐるりと囲むアラカシの新緑と、流紋に整えられた白石が綺麗でした。
東山区今熊野宝蔵町の住宅地の一角にポツンとあるのが「仁明天皇女御 贈皇太后澤子 中尾陵」になります。柵が閉じられており真正面まで行けなかった。
中に入れない。
住宅地の一角にポツンとある宮内庁管理の皇后稜、ゴミを捨てるなと書いてあるが、石碑の横がゴミ集積場になってますw、日々の暮らしと歴史が混ざる、ある意味京都らしい光景だな。
今熊野の交差点から府道118号線をしばらく登っていくと右手にあります。遥拝所はそこから路地に入ったところですが、近づくことはできません。仁明皇后藤原沢子(たくし)「生年不詳 - 承和6年6月30日(839年8月12日))藤原総継と藤原数子の娘で仁明天皇の女御。光孝天皇の生母。姉妹の乙春は藤原長良室となり、基経および高子を産む。仁明天皇即位前からの妃で、夫が即位すると天長10年(833年)に女御になった。仁明天皇の寵愛は深く、天長5年(828年)に宗康親王、天長7年(830年)に時康親王(後の光孝天皇)、天長8年(831年)に人康親王を出産した。また新子内親王をもうけている。従四位下。承和6年(839年)4月、宮中でにわかに病となり、危篤となり車で里第に運ばれるも、そのまま6月30日に薨去。同年、従三位を追贈された。
とても小さいです。
住宅街にあります。ちょっと狭い道の中よりにあり分かりにくいです。拝所が正面に向いていないので、横から鳥居を見る感じです。
名前 |
仁明天皇女御 贈皇太后澤子 中尾陵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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