穏やかで力強い高倉下命の境内。
椋下神社の特徴
高倉命をお祀りしている神社で、心があらわれるひとときを提供します。
奈良県宇陀市榛原福地にあり、静かな環境で心の癒しを感じられます。
神社独特の雰囲気が心を落ち着け、訪れる価値がある場所です。
穏やかですが力強い神様のおられる神社です。氏子さんたちはとてもフレンドリー。
あを越え伊勢街道ハイキングで立ち寄りました。
御祭神 高倉下命(たかくらじのみこと)境内社 金刀比羅神社(大名牟遅命)愛宕神社(軻遇突智神)庚申社(猿田彦神)椋下(くらげ、くらじ、むくもと)とも読むようです。神武天皇東征の際、熊野に到着された時、荒ぶる神の毒気によって皆が気を失い倒れてしまった。この時、高倉下命がもたらした剣で覚醒し中つ国へ兵を進められたとされています。この剣は佐士布都神、甕布都神、布都御魂ともいい、石上神宮にお祀りされています。
式内の社ですが社殿境内は近年整備されており古社の雰囲気は然程感じませんが崇敬が厚い故に綺麗なのだと思います。
椋下(むくもと/くらげ)神社。読み方諸説存在します。趣ある素敵な神社さんです。祭神、弥彦尊/ヤヒコカミこと、タカクラシタ・タクラマロさん。オオヤマカグツミ(第三代オオヤマツミ)さんとタキツ姫タキコさんがお生みになったカゴヤマ・タクリさんとアメミチ姫。そのタクリさんのお子がタカクラシタ・タクラマロさんと聞きます。高倉山(三輪山)の麓で生まれたので高倉下さんと仰るそうです。タカクラシタさんといえば、神武東征のおり、イハワレヒコ・タケヒトさんに奉ったフツノミタマの剣がアイコンのようになってますが、多方面にわたって活躍されたそう。初代アスカ皇君、クシタマホノアカリ・テルヒコさんはハツセ姫との間に世継ぎができなかったため、アメミチ姫を新たに后とし、姫の兄、タクリさんのお子、タクラマロさんを御養子として迎えるも皇君前妻のハツセ姫に疎まれ、お二人とも追放の憂き目に。初代皇君没後、アスカ皇君を継いだニギハヤヒ・クニテルさんがお二人を気の毒に思いアメミチ姫を義母として迎え、タクラマロさんも招いたそうですが、タクラマロさんはクニテルさんの計らいを拒み、アスカ宮へは行かなかったといいます。のち熊野に住み、所謂夢のお告げでイハワレヒコさんにタケミカズチ神のフツノミタマの剣を奉ったタクラマロさん。大和平定に携わったのち、スベシカド(国家大使)として筑紫、山陰、越後弥彦山を巡回、四国を統治し、紀の国造を経て、皇連/オオムラジに収まります。イハワレヒコさんは、その後も東奔西走、尽力されたタクラマロさんの功績を称賛してヤヒコカミとい名と越後国を贈り、サユリ姫(イスキヨリ姫)との間を取り計らわれたそう。サユリ姫は越後のタカクラシタさんのもとへ嫁ぎ幸せに過ごされたといいます。のちご夫婦共々、弥彦の神として祭られるように。高台の境内にて、風に洗われそんな故事に想いを馳せました。駐車場見当たりませんが、近くにスーパーの駐車場がありますのでお借りするのもひとつかと存じます。
椋下神社 (くらげ) 式内社御祭神 高倉下(たかくらじ)命神武東征の有名なお話。熊野で神武天皇一行が悪神の悪気に倒れたとき、高倉下が夢のお告げで剣を発見して天皇に差し上げお助けした。そこで高倉下がこの地に祀られたようです。八咫烏神社も宇陀にあるので、神武天皇がこのあたりに滞在していたのでしょう。当社に参拝者用の駐車場はありません。入口の前にPらしいものがありますが、この神社のものではないのでご注意を。鳥居をくぐって石段を上ると左側に手水舎があり、正面に拝殿があります。拝殿は銅板葺平入切妻造。立派な柱で開放的な建造物です。篠畑神社 (ささはた)の拝殿に似ています。本殿は、拝殿からかなり上った場所にあり、近づくことはできません。本殿の鰹木が金色に輝いているのを眺めるのみです。
高倉命(たかくらじのみこ)お祀りしてます。神武天皇東征の折り深く関わりのあった人物やそうで、相当古い神社です。
心があらわれますな。
鎮座地と場所が異なります。
| 名前 |
椋下神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5782 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
椋下神社(くらげじんじゃ)。奈良県宇陀郡榛原町福地。式内社(小)、旧郷社。【祭神】高倉下命資料によると、当地は、青山越伊勢街道と伊賀街道の分岐点にあたる交通の要地に展開する福地集落。そのほぼ中央、伊勢街道に南面して鳥居が立ち、北側の高地に鎭座する。もとの鎭座地は福地岳の山中「くらかけ」の地で何時の時代にか当地に遷祀されたと伝えている。神武天皇が紀伊国熊野邑に到った時に、高倉下命が横刀を献上した功によつて同郡高塚村に八咫烏神を勅祭された慶雲2年(705)9月に同じく勅祭をもつて創祀と伝えている。今高倉下命を祭神としいるのは、前社地が福地岳にあつたと伝えているが福地岳は別名タカクラ山と称せられ、社名また「クラジ」と称するところから出たのであろう。近世の付会か。中古に桜島寺という神宮寺があったが文政の終わり頃廃寺となり本尊地蔵菩薩等は今は地蔵堂に安置されている。式内社「椋下神社」は長らく所在不明となっていた。「神名帳考証」や「大和志」は当社の式内社比定を否定、所在不明としている。大正三年刊行の『大和志料』において当社に比定されています。とあります。