法然上人の御廟で心静まる旅。
円光大師法然上人御廟の特徴
円光大師法然上人御廟には、法然上人の遺骨が納められています。
法然上人のお弟子、信空上人の御分骨もお祭りされています。
金戒光明寺に隣接する歴史ある御廟で、静かな雰囲気が魅力です。
法然上人のお弟子、信空上人が生涯身に着けられていたとされる法然上人の御分骨がお祀りされています。中央の厨子の下方に御遺骨を納めた五輪塔、上方に法然上人御本地の勢至菩薩像がお祀りされているそうです。
■圓光大師法然上人御廟(えんこうだいしほうねんじょうにんごびょう)金戒光明寺に在る御廟。法然上人の遺骨が祀られてある御廟。文殊塔(三重塔)登り階段中腹右手に在る。●この長い階段脇に人気の「アフロ頭の五劫思惟阿弥陀仏」が在る。登り階段から見て左手に阿弥陀仏像、右手が御廟。階段を挟んだ向いとなる。平敦盛(たいらのあつもり)と熊谷直実(くまがいなおざね)。一ノ谷合戦で知られる二人の墓が此処の御廟前に在る。何と法然上人を前にして右に直実、左に敦盛の五輪塔が相向き合うのだ。雨が落ち着いた頃だったが御廟には1時間ばかり居た。直実は敦盛を須磨の海岸で討取ったが、のちに出家して法然の門徒となり蓮生(れんしょう / れんせい)と号していた。武将から僧侶となり敦盛を供養し続けた。後で自らの墓も此処にと願った。死しても側で護ろうとしたのだろうか。立ち去るまで此処の御廟を訪ね入る方には出会わなかった。階段下脇でご婦人が後ろ向きに倒れた、驚いた、慌てて助け起こした、福島から来たといわれた、郷土ゆかりの寺に親子連れで詣られたようだ。親子孝行を兼ねたご旅行だろう、道中無事を願った。◼圓光大師(えんこうだいし)とは法然上人の大師号で、上人がお亡くなりになって約500年の後、東山天皇から贈られたもの。法然上人は建暦二年(1212)、80歳で入滅なさり、御遺骸は京都、東山の大谷の地に埋葬された。しかし、念仏の教えが広まるにつれ、それを快く思わない比叡山の僧たちが、上人の墳墓をあばいて辱めようとしている、という企みがあることが発覚。嘉禄三年(1227)、危険が迫っていることを知ったお弟子たちは、御遺骸を嵐山の二尊院に移し、さらには、太秦の西光院へ隠す。しかし、叡山からの圧力をかわすことが日に日に難しくなっていった。そんなある日、密かに御護りしていた石棺から、一筋の不思議な光が放たれ、弟子の方々が、この光を追って南へ向かいますと、粟生の念仏三昧院へたどり着いたという。これが現在の光明寺。当時としては都から遠く離れ、法然上人との深い因縁もあるこの地は、御遺骸を荼毘に付して、お墓をつくるに、いかにもふさわしい場所と、お弟子の方々もすぐ気付いたようだ。●全てが法然の、否、御仏のお導きだろうか。石棺は無事に移され、御遺骸を荼毘に付された。石棺は、見た目はむっくりと丸みをおびた如何にも重そうな石蓋で覆われてある。此の石棺から光が放たれたとはホンマかいなと、本当ならお弟子の方々はどれほどに驚かれたことかと。西光院から光明寺の間は15km程か、迫る危険を避け密かに重い石棺を運んだ冬の道だ。難儀だろう、急いでいる僧侶たちの、緊張と疲れた姿を何度か思い描くと時間が尽きない。🙏 合掌。
名前 |
円光大師法然上人御廟 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.8 |
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令和二年 京都初秋の旅 10月3日円光大師法然上人御廟圓光大師の遺骨が納められています❗️