文子天満宮で心静かに参拝。
文子天満宮舊址の特徴
菅原道真の乳母、多治比文子を祀る歴史ある天満宮です。
鳥居と舞殿が印象的で、独特の雰囲気を醸し出しています。
社殿は移転してしまい、民家のような佇まいも特徴です。
【文子天満宮旧跡】2024.3.27安楽寺天満宮から丸太町通に向かって歩いていると、文子天満宮の扁額が見え、立ち寄ってお詣りしました。北野天満宮の境内にも、文子天満宮はありますが、明治6年に遷宮するまでは、こちらに鎮座していたそうです。お詣りして境内の写真を撮りました。思わぬところで、思わぬ神社に参拝できて、感激でした。次回は下京区にある文子天満宮にもお詣りします。天神通を下がって丸太町通に出て、市バスで丸太町御前通から烏丸丸太町へ向かいました。文子天満宮は菅原道真の乳母多治比文子を祀る天満宮で、この界隈は,北野天満宮に仕える神人が多く住んでいたところで,彼らがこの天満宮を守っていたそうです。菅原道真の乳母だったという多治比文子(たじひのあやこ)は、「われを右近の馬場(現在の北野天満宮)に祀れ」との道真の託宣を受けたそうです。だが、文子は貧しく、社殿を建立することがかなわなかっため、右京七条二坊の自宅庭先(現在地)に小さな祠を建てたのが、文子天満宮の始まりだそうです。
舞殿(拝殿)があるのに本殿がない。と思ったら、明治6年に北野天満宮境内へ遷宮されていて、ここは旧跡なのか。今は御旅所となっているそうだ。北野天満宮周辺は菅原道真に関するものが多く、テーマを決めて訪ね歩いたら面白そう。
菅原道真の乳母である多治比文子により祀られた天満宮ですが、鳥居と舞殿はあるものの、その奥は民家のようで、現在社殿は移転してしまっています。
菅原道真公に関する史跡はたくさんありますが、その一つである文子天満宮です。文子天満宮に関する史跡もいろいろあって、1).文子天満宮舊址(あやこてんまんぐうきゅうし:京都市上京区)2).文子天満宮(北野天満宮末社)3).文子天満宮(京都市下京区)4).文子天満宮(京都市左京区岡崎)と、京都市内だけでも4つの史跡が上がります。幼少から才能に恵まれた菅原道真公は醍醐天皇の時に右大臣にまで上り詰めますが、延喜元年(902年)、左大臣、藤原時平の陰謀により、いわれのない罪をきせられ太宰府に左遷されてしまいます。左遷された道真は、延喜3年(903年)に59歳で亡くなりましたが、没後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真公の託宣を受けたます。しかし、文子は貧しくて社殿を建立することができず、右京七条二坊十三町の自宅に小さな祠を建てて道真公を祀っていました。その後、文子の住居跡は神殿に造り替えられ文子天満宮なります。これが、上の3)文子天満宮(京都市下京区)で、天神信仰発祥の神社、また北野天満宮の前身ともいわれる由縁です。その後、年代は不祥ですが文子天満宮は西ノ京に遷されます。これが、1)文子天満宮舊址です。やがて、明治6年(1873年)、文子天満宮は北野天満宮境内に遷されます。これが2)文子天満宮(北野天満宮内)です。明治6年以後、1)は北野天満宮御旅所になってます。
| 名前 |
文子天満宮舊址 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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