尾張藩校跡で歴史に触れよう!
明倫堂跡の特徴
那古野神社の鳥居をくぐって行くアクセスが分かりやすいです。
駐輪場の横には貴重な石碑と説明板が設置されています。
愛知県立明和高校の近くに位置しており、歴史を感じさせます。
尾張藩第九代藩主徳川宗陸が建てた藩校跡です。天明3年(1783年)4月、細井平洲を初代総裁に迎えて開講しました。東照宮の駐車場の端に石碑と案内板がありました。
名古屋東照宮の駐車場に案内板と石碑が立っているだけ。尾張藩の藩校、現在の愛知県立明和高校。寛延2年(1749年)建立、天明2年(1782年)再興、天明3年(1783年)開校、明治4年(1871年)廃校、明治8年(1875年)名古屋城内から名古屋東照宮に移される、明治22年(1889年)武楊学校設立、明治32年(1899年)私立明倫中学校として復活、昭和23年(1946年)愛知県立明倫高校、昭和23年(1948年)県立第一高等女学校と合併し現在の愛知県立明和高校となった。
天明2年/1783年開校、尾張9代藩主/徳川宗睦が創設した藩校の跡地、初代学長は現在の愛知県東海市出身で儒学者の細井平洲、学生は藩士子弟だけではなく町人や農民にも広く門戸を開放、儒学や国学を教授、最盛期には約500名の生徒が学んだ❗️明治4年/1871年廃藩置県により明倫堂は廃校となり、明治8年/1875年跡地に名古屋城三之丸から名古屋東照宮が遷座し現在に至る🤔
2022年正月に初めて行きました。名古屋東照宮の境内に名勝標札があります。帰宅後、ネットで調べるとこんな歴史が・九代藩主徳川宗睦が天明三年(一七八三)に開設された尾張の藩校初代の総裁には、上杉鷹山の学問の師として知られる細井平洲が招聘された。・藩士の子弟だけでなく、農民や町人にも儒学や国学を教えた。・明治4年(1871)の廃藩置県ともに廃校・江戸時代の天明7年(1787)に建てられた聖堂(孔子を祀るお堂)は、明倫堂が廃止されると民間に払い下げられ、岐阜県羽島市の永照寺に本堂として移築された。→聖堂建築として数少ない遺構の一つであり、岐阜県と羽島市の有形文化財に指定されている。・明治32年(1899)明倫中学校として復活。愛知県立明和高等学校として現在に至る。地元の歴史を知るきっかけになりました。
那古野神社の鳥居をくぐってまっすぐ行くと駐輪場の横に石碑と説明板が有ります。今の明和高校がこれだったそうです。
今の愛知県立明和高校です。こんなところにあったのですね。永井荷風さんのお祖父さんの鷲津毅堂先生が督学をしていた時期もあったそうです。校舎は岐阜県羽島市に移築されています。
Japanese/English尾張藩の藩校跡です。設立直後は米沢藩主上杉治憲(鷹山)の師である細井平洲が校長を務めていたようです。明治4年に廃校になった後,名古屋城内から名古屋東照宮が移築され,現在に至っているようです。It is the ruins of the Owari school. Immediately after the establishment, it seems that Hosoi Heishu, who is the master of Yonezawa Ryosuke Uesugi Harunori (Yo-zan), served as the principal.After the school was abandoned in 1894, Nagoya Toshogu Shrine was relocated from within Nagoya Castle and seems to have reached the present.
| 名前 |
明倫堂跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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2025年 10月8日偶然 こちらを発見❗️かなり驚きましたし嬉しかったです ☺️一説によりますと、全国の藩校の中で日本で1番早くできた尾州尾張藩の藩校らしいです (≧∀≦)実際の開校は、1783年❗️現在の明和高校につながるのですね。知人などに 明和高校卒の方達が❗️一朝一夕には 歴史はできないと思います 😄思いがけずこちらの札を見まして喜んじゃいました 😆