歴史を感じる女人堂の境界。
女人堂の特徴
明治5年まで女人禁制だった高野山の唯一の女人堂です。
御朱印は3種類あり、記載してもらえる親切なお堂です。
高野山への入り口で、歴史を感じる雰囲気が魅力的です。
高野山への玄関口にある歴史的建造物。重要文化財にもなっています。明治5年(1872年)まで高野山は女人禁制だった歴史あり。現在残っているのは不動坂口女人堂だけで、2024年には和歌山県指定文化財に指定されてます。とても貴重ですね。
女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれましたところ、山の上の方にあるのでBROMPTONではキツイです。
高野山は八葉の峰と呼ばれる1,000m前後の山々に囲まれた山上の盆地で、明治5年に女人禁制が解かれるまで、厳しく女性の入山を規制してきました。高野山への参詣道として俗に「高野七口(こうやななくち)」と呼ばれる街道が通じており、かつてはその各入口に女性のための籠り堂として女人堂が建てられました。女人禁制のため、高野山内に女性が立ち入ることはできませんでしたが、多くの女性たちが、「お大師様にお祈りがしたい」、「修行をしている息子の姿を一目でも見たい」・・・等々、様々な思いを背に女人堂から女人堂へ八葉蓮華の峰々を辿ったといわれ、この道を「女人道(にょにんみち) 」と呼んでいます。アクセスは、南海学文路駅から京大阪道「不動街道」を行くコースか、もう少し短くいくのであれば、南海極楽橋駅から歩き50分ぐらいでいけます。京大阪道は、江戸時代後の道から上がる人が多かったといわれています。
【高野山の境界を伝える遺構】女人堂は、高野山がかつて女人禁制であった時代を伝える重要な遺構である。高野山にはもともと七つの登り口があり、明治5年に女人禁制が解かれるまで、女性は山内へ入ることができなかった。各登り口には女性のための参籠所が設けられていたが、現在残る女人堂はその唯一の現存例とされる。そのため女人堂は、単に「女性はここまでだった場所」という以上の意味を持つ。高野山の外縁に置かれた信仰の受け皿であり、宗教都市の境界線を可視化する建物でもある。現在の佇まいは静かで、史跡としての印象が先に立つが、その静けさの背後には、高野山がかつて厳格な宗教的秩序の上に成り立っていたことがはっきり残っている。
徳川家霊廟の少し坂を登ったところにあります。高野山の中心部から少し離れていますが、トイレ休憩と車が2〜3台停まれるスペースがあります。女人道もすぐ近くにあります。
不動坂を徒歩で登って行きましたが車でも行けます。徳川家の御朱印もこちらでいただきました。
女人禁制のため高野山内に入れなかった女性のための参籠所で一番大きかった不動坂口の女人堂が唯一残っているそうです。令和七年十月、前回訪れた時は南海高野山駅からの路線バスは女人堂前を通りましたが、今回は大門を通るようになり女人堂の前をバスは通らなく成りました。
一千年余り、女人禁制であった高野山の七つの入り口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物とのことです。そうした女人禁制の時代には、弘法大師空海は高野山から慈尊院まで月に9回通っていたと言われているらしいです。
南海りんかんバス「女人堂」すぐ前高野山の7つの登口に あった女性用の参籠所唯一現存する建物です。拝観無料。8:30〜16:30。無料🅿️4台。明治5年(1872年)に 女人禁制が解かれるまでは ここまでしか女性は立ち入れませんでした。こちらで女人堂と徳川家霊台の御朱印をいただきました🙏中で 冷たいお水も無料でいただけたのでほっと一息😅💦
| 名前 |
女人堂 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0736-56-3508 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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明治の初めまで女人禁制でここから先は高野山内に入れなかったらしいです。高野山内には七つの女人堂があり唯一現存している女人堂との事です。