源頼朝の御所跡で歴史を感じる。
大蔵幕府跡碑の特徴
源頼朝が開いた鎌倉幕府の御所跡です。
法華堂跡へのお墓参りの途中に位置します。
初期の鎌倉幕府の重要な歴史的場所です。
碑文「今を距る七百三十七年の昔、治承四年源頼朝邸を此の地に営み後覇権を握るに及びて政を此の邸中に聴く、所謂大蔵幕府是なり、爾来頼家実朝を経て嘉禄元年政子薨じ幕府の宇津宮辻に遷れるまで此の地が覇府の中心たりしこと實に四十六年間なり」ネットに載っていた情報(レファレンス協同データベース、検証未済)質問清泉小学校ができる前の頼朝時代の鎌倉幕府跡の土地はどうなっていたのか。回答資料の記述を集めると以下のような変遷が推定されます。御家人屋敷や庶民の家屋として一部を分割利用→空き地(芝生)→田畑→宅地化→市が買収→清泉女学院に転売→現在『図説鎌倉回顧』には明治20年代の幕府跡の遠望写真があります。建物らしきものは見当たりません。
石碑が十字路の角にあります。解説は横の小学校の方が書いてくれてました。
大蔵幕府跡碑。(202211)※源頼朝の邸宅、鎌倉幕府将軍(鎌倉殿)の御所。北にいくと白旗神社(鎌倉市西御門)、法華堂跡(源頼朝墓)があります。🅿️駐車場は近くの観光駐車場。🚃最寄り鎌倉駅。🚻トイレなし。※客観的に普通のものが『最高』の評価になりませんので悪しからず。
一番最初に源頼朝が開いた鎌倉幕府があった場所。すぐ北側には法華堂もあったようであるが、今は幕府も法華堂も見る影がない。この北側に頼朝の墓がひっそりあるのだが、墓への直線道路を横切る学生さんたちが一礼をして歩いて行く姿に、鎌倉市民からは未だに親しみを持たれているのだと驚いた。後に若宮大路のほうへと幕府は移動していくことになる。今ではただの住宅地であり、夢の跡である。
西御門、東御門からの縦方向の距離が、116メートルくらいなので大蔵幕府は約3万1000平方メートルになります。スケールの大きさを感じます♪
法華堂跡へお墓参りに行く道中にありました。大河ドラマ館で大倉御所について見学していたので、この辺りにあったんだなぁと思いを馳せることができました。
頼朝時代の幕府の御所があった場所。鶴岡八幡宮の東隣にあります。小学校の生徒がまとめた歴史の説明展示が外にあり、楽しませてもらいました。その小学生が羨ましい!
金沢街道(六浦道)から筋替橋、西御門、頼朝の墓、東御門、大倉幕府跡とぐるっとひと回りしましたが、ちょうど、このあたりに大倉御所があったのですね。幕府の執務場所というと江戸城を思い描いてしまいますが、鎌倉時代には石垣の城など無かったでしょうね。「鎌倉殿の13人」を見ていても建物の全容はよくわかりませんが、きっと京都の御所を思い浮かべたほうが近いのかもしれませんね。このあたりは、静かな住宅街になっていて、かつて政治の中枢がここにあったとは思えません。
2022.11.20源頼朝の住居兼仕事場といったところか。北条泰時が宇津宮辻子幕府に移すまで鎌倉殿の御所であった。敷地はかなり広く、どのような建物があったのかと想像すると面白い。遺構なく石碑が残る。
| 名前 |
大蔵幕府跡碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0467-23-3000 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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鎌倉幕府のすべての始まりであり、源頼朝が政治を行った場所です。その後北条泰時が鶴岡八幡宮のすぐ南側へ幕府を移転させ、若宮大路幕府となります。