横須賀の歴史を創った偉人。
フランソワ レオンス ヴェルニー 胸像の特徴
フランス人造船技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーの偉業が伺える場です。
明治時代の日本海軍礎となる近代施設が揃う歴史的スポットです。
横須賀造兵廠や灯台など、近代化を支援した実績を感じられる場所です。
2024年3月28日に訪れました。横須賀製鉄所建設が、小栗上野介忠順(ただまさ)により幕府へ懸案されたのは、文久3年1863年のことでした。この年は、勝海舟によって神戸海軍操練所(坂本龍馬が操船を学んだ)が開設された年でもあります。幕府は、多くの洋船を海外に受注し、保有しましたが、幕府の財政を圧迫しました。蒸気船の国産化と量産化が必要とされた時期です。実際に横須賀製鉄所(後の海軍工廠)の建設が開始されたのは、慶応元年1865年です。小栗上野介忠順は、駐日仏公使レオン・ロッシュのつてで技師であるレオンス・ヴェルニーを慶応元年に招聘することができました。レオンス・ヴェルニーは、来日する前、寧波の副領事を務め、仏海軍の造船所を建設していました。実績のある技師として適任者であったわけです。横須賀製鉄所完成間際、慶応4年1868年に戊辰戦争が起こります。工事が明治新政府の財政難によって中断されそうになります。レオンス・ヴェルニーや仏公使マクシム・ウートレの反対によって建設続行が決定されたのです。彼のお陰で製鉄所の他に横濱仏蘭西語伝習所(日本初のフランス語学校)や観音崎灯台を始めとして東京周辺の灯台が建設されました。関東大震災によって、彼の手による灯台は、倒壊してしまいましたが、品川灯台だけ、明治村に移築されて、現在も見ることができます。明治になってからも新政府のもと、日本の近代化に貢献し、明治9年1876年に帰国されました。
フランス人の造船技師です。徳川幕府の要請によって横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として来日しました。観音崎灯台、レンガ製造、技術学校の創設など日本人技術者の養成に努めました。
日本海軍の礎となるインフラ整備をされた偉人です。
1865年に徳川幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として来日したすごい方。隣の胸像は日本の近代化に貢献した小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)です。
フランソワ・レオンス・ヴェルニーはフランスの技術者で、元治2年(1865年) から明治9年(1876年)にかけて、横須賀造兵廠、横須賀海軍施設ドックや 灯台、その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援しました。
フランス人幕府お抱え外国人技術者で横須賀軍港整備に尽力しました。
| 名前 |
フランソワ レオンス ヴェルニー 胸像 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
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4.4 |
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博物館とともに公園内に胸像があります。