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名前 |
観音寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
073-489-3091 |
住所 |
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評価 |
3.0 |
承元元年(1207年)12月の創建と伝わる浄土宗寺院。山号は接引山(しょういんさん)、院号は宝手院(ほうしゅいん)。本尊は阿弥陀如来。開基は法然上人とされる。承元の法難による讃岐配流から帰洛する途中、紀伊国海部郡大川村(現在の和歌山市大川)に上陸・逗留していた時、野上庄の山本義明らの懇請を受けて野上で説法することとなり、その際に小畑村に設けられた草葺の仮庵に始まるという。上人の帰洛後、草庵は村人や信徒らによって現在地に移されたが、寺院としての体裁が整ったのは寛文10年(1670年)頃、知恩院第38世・玄誉万無上人が法然寺(海南市)再建のために当寺に下向した時であり、寛政元年(1789年)には設引山宝手院観音寺と号するに至った。本堂は本瓦葺の三間堂で、嘉永年間の再建とされる。江戸時代後期の『紀伊続風土記』には「新荘堂といふ、八幡宮祭礼の時新荘の者皆此堂に集るといふ」とあり、野上八幡宮の祭礼に当たって野上新荘(七山・長谷・柴目)の村人が集まった場所であることが窺えるが、このような伝承は現存しないとのこと(『野上町誌』)。創建は鎌倉時代前期にまで遡るものの、明治初期頃までは住職を法然寺住職が兼務するなど、独立した寺院とは言い難かったこともあり、その歴史に比して堂宇や境内などの規模は大きくありません。なお、本堂向かって右に真新しい2階建の庫裏がありますが、これは令和6年(2024年)に建て替えられたものです。