須牟地曽根神社、夜の灯に包まれて。
須牟地曽根神社の特徴
御祭神の須牟地曽根命や勝手大明神を祀った神社です。
曲がり角には勝手大明神の石柱が立っています。
毘沙門天神社は小さな社で静かな雰囲気を漂わせています。
御祭神、須牟地曽根命、勝手大明神、毘沙門天神社に向かう曲がり角には、勝手大明神の石柱が建っています。
夜ですが、灯がついてました。
小さな社があるだけです、毘沙門天さまが左におられました。綺麗に維持管理されている事から大切にされてる事は想像出来ますね。
長居と矢田にあるスムチ神社の一社こちらの神社は金岡神社へ合祀されている。
| 名前 |
須牟地曽根神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
〒591-8004 大阪府堺市北区蔵前町3丁10−3 曽根神社 |
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須牟地曽根神社(すむちそねじんじゃ)。大阪府堺市北区蔵前町。式内社(小)、旧村社。主祭神:須牟地曽根命、勝手大明神、毘沙門天資料によると、江戸時代には勝手明神と呼ばれていた。勝手とは入り口のことのようで、長尾街道で住吉の津から上陸、この国へ入ってくる資格審査の場所であったがゆえに、この名で呼ばれたのではなかろうか。創建年代は神功皇后摂政六年の頃と社頭説明にある。また『住吉大社神代記』には住吉大神の子神の一として須牟地曾禰神の名が見える。明治二十八年本殿焼失とあり、明治四十一年金岡神社に合祀されたが氏子の願いで旧社地に勝手明神の名で分霊を遷し祀っている。平成五年に正遷宮を行っている。勝手明神の霊は金岡神社に残っていないことにはならない。中臣須牟地神社の『叢社記』によれば、「住吉郡須牟地神社為記、同式神須牟地神社與須牟地曽根神社有三社(中略)同曽根社者当北号住吉第二之社」とあって、須牟地曽根神社は中臣須牟地神社の北に鎮座とあり、湯里住吉神社と須牟地曽根神社との関連が深いとの考証がある。(式内社調査報告 奥野茂寿氏)端的に言えば、湯里住吉神社こそ須牟地曽根神社ではないかといいたいのであろうか。大阪市の南から堺市、和泉市に曽根の地名が分布する。当社の南に長曽根があり長曽根神社が鎮座、また和泉市には池上曽根遺跡に隣接して曽彌神社が鎮座、これらは『新撰姓氏録』和泉国神別曽禰連、神饒速日命六世孫伊香我色雄命後也 とあり、物部の勢力圏であったようだ。 曽根の名を持つ須牟地の神はやはり物部の濃い場所がふさわしい。住之江の津から大和へ向かう長尾街道に面して鎮座する物部系の須牟地の神、やがてその道は北へ北へと移っていき、役割を終えるのであるが、祭祀においても物部から中臣へ移って行くのと同調しているように見える。新羅使の接待時に奉祭する赤留比売神の役割も住吉郡(大阪市平野区平野東)から東生郡の名神大社の比賣許曾神社へ移って行っている。とあります。