湯島聖堂で歴史を感じる。
湯島聖堂の特徴
湯島聖堂の周辺には、根津や御茶ノ水の歴史ある学校が点在しています。
かつての昌平坂学問所跡から学ぶ近代教育の重要な意義を感じられます。
暖かな木陰とベンチで、静かに歴史を振り返る休息ができます。
何十年ぶりかに東京に来ました。御茶ノ水駅から徒歩1、2分すぐ近くにある湯島聖堂。歴史を感じる体験が出来ました。
初めて来訪しました。祝日だったので200円の拝観料を払って大聖堂の中も見学。すごく暖かい日で人も多かったけど、中はヒンヤリとしていて空気が違う気もしました。
2月20日午後 御茶ノ水神田散策で訪れた湯島聖堂。庭その他改修中で、少し淋しげな印象でした。(その後訪れた神田明神と対照的でした) 湯島聖堂は孔子廟を起源とする江戸幕府直轄の学問所跡。孔子様の大きな像に祈りを捧げました。私は多分中学の時読んだ中島敦の「弟子」(孔子とその弟子 子路の物語)を読んで、子路にとても惹かれました。あら70の人生を、振り返り、今ては私が子路に似ていたからだと分かっています。子路は自分を貫き、壮絶な最期を遂げました。私はカッコ悪くても、大事な人たちを守って生き抜く事を、今、考えています。
2025年12月27日に訪れました。元禄3年1690年に5代将軍徳川綱吉が、孔子を祀る大成殿を建立したことが始まりだそうです。湯島聖堂は、寛政9年1797年に学舎を改築し、昌平坂学問所に改組されました。相生坂と呼ぼれていた坂が、昌平坂と呼ばれるようになります。明治維新では、明治4年1871年に文部省が置かれました。その後、国立博物館(現東京国立博物館・国立科学博物館)、師範学校(現筑波大学)、女子師範学校(現お茶の水女子大学)、書籍館(しょじゃくかん 現国立国会図書館)とそれぞれの発祥の地となりました。境内には、孔子の墓所がある曲阜から楷樹が移植されています。楷書の楷の字の語源となった樹木だそうです。震災・戦災を経て、入徳門だけは、宝永元年1704年建立当初の姿を遺しています。幕末の動乱期、実質的に日本を支えていたのは、この昌平黌の出身者であったことをもっと評価すべきではないかと思いました。
駅の近くにあるのが嘘みたいな静けさのある場所です。お寺でも神社でもなく学問所で、朱子学という儒学の一種を教えていました。築地本願寺などでお馴染みの伊東忠太が建築を手掛けており、異国的なデザインが特徴です。
湯島聖堂は、ただの観光地ではなく、自分と向き合う場所そのものです。門をくぐった瞬間、都会のざわめきが嘘みたいに消えて、時間がふっと緩む。黒塗りの大きな建物を前にすると、不思議と背筋が伸び、自分の迷いも少しずつ整っていく気がします。特別な演出があるわけではありません。でも、この静けさと空気の重なりが、心に染みるんです。ベンチに座って深呼吸するだけで、また頑張ってみようかなと自然と思える場所って、本当に貴重。人が多い東京の中で、ここまで心が澄む瞬間をくれる場所はなかなかありません。観光目的でも、悩みごとを抱えていても、どんな人でも優しく受け止めてくれるような懐の深さがあります。疲れた心をそっと休ませたいなら、湯島聖堂をぜひ訪れてみてください。ここで感じた静けさは、きっと忘れられないはずです。
お茶の水駅から神田川を渡ると日本の学校教育の源流とされる湯島聖堂があります孔子を祀る廟で、元禄3年に徳川綱吉がこの地に移して建立し、後に幕府直轄の学問所「昌平坂学問所」となりました。中庭でぐるりと若い人たちが書籍を持って話をしています。中国や台湾でよく見かけた風景ですが、こんな場所が日本にある事に驚きました。建物の屋根の鴟尾や動物瓦が独特です林の中に大きな孔子像があり、すぐそばに「学問の木」として有名な《階の木》があります。
御茶ノ水駅からも近いです。都心とは思えない広さの境内です。境内はまるで中国に来たかのような雰囲気です。不思議なことに中国人の姿はここではあまり多くは見た事がないです。ここの外には中国人がウジャウジャいるんですけどねw
紅葉が青空に映えて良かった。
| 名前 |
湯島聖堂 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
03-3251-4606 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 9:30~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
JRお茶の水駅の斜め前 都心の喧騒を忘れる荘厳な静けさ 歴史を感じます。中の観覧料もわずかでしたが 賽銭のつもりで払って入りました。別に、入り口だけでも充分満喫できる施設です。