50年前の無料粉洗剤、懐かしさ満点!
50年前。この場所には、パン屋さんがありました。マスターは、国松さん。奥さんの清子さんが、売り子をされていました。当時で、30代後半から40代だったと思うので、すでに、鬼籍の方となっているでしょうか?(20年前に母が亡くなってから、音信不通となりました。)サンドイッチといえば、コッペパンに具を入れたものが主で、玉子(茹で玉子の卵黄と白身を刻んでマヨネーズで和えた)コッペパンや、ジャム(当時はジャムといえば、いちごジャムを指しました)コッペパン。チョココッペパン、ポテトサラダコッペパンなどが、ガラスのケースに並び、あとは食パンや、食パンを薄く切ったサンドイッチ用パンなど。パンの耳も10円ほどで販売されていたように記憶しますが、私が、学校帰りに、歌を歌いながら歩いていると、パン屋さんのおばちゃん(清子さん)が、「まりちゃん、これ、もっていきなさい。ママに、油で揚げてもらって、お砂糖かけるとおいしいよ。」と、おやつにくれたのでした。そんなパン屋さんちは、40年前位に、栃木県にお引越しをされました。その後、この場所に、「こがねむし」という喫茶店(お昼)兼 今でいえば居酒屋さんのような飲み屋さん(夜)がオープンしました。インベーダーゲームが流行った時期で、たくさんのおじさんたちが、この店に通いつめていました。私の父も、その一人で、こちらのマスターと奥さんと懇意になり、母と奥さんは、一日違いの誕生日の同学年で、子どものいないマスター夫婦と、三人の姉妹弟の子のいる我が家と、家族ぐるみのお付き合いをしていました。インベーダーゲームのみでなく、ジュークボックスもあり、小学生の私は、父に、インベーダーゲームの相手をさせられる合間に、お店にあったジュークボックスに100円を投げ入れては、加藤登紀子さんの『この空を飛べたら』を、いつも歌っていました。こがねむしのおばちゃんたちは、数年して、都心にお店を出し、鶏屋さんや海外からきたフランチャイズのハンバーガー屋さんをされたりして、今は、新潟にいらっしゃると聞いています。私(や、私たち家族)以外にも、この場所で、営みをされた方に、何かの影響や癒し、有難みを受けた方もいらっしゃるのではないでしょうか。今も、世田谷の松原に、この場所が残っていることを、とても嬉しく思います。
名前 |
コインランドリー |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

無料の粉洗剤が置いてあります。