大国主神の神社で出会う、歴史と餅の魅力。
生矢神社の特徴
緑に囲まれた小高い丘の上に位置する神社です。
秋祭りや夏越の祓えなどのイベントが盛況に行われています。
大正天皇御大典記念石燈籠や忠魂碑などの石造物があります。
緑に囲まれた小高い丘の上にある閑静な神社でした。しかし秋のお祭りのときはすごいのだろうな。
R6年桜が満開の日曜日に御朱印を頂きにうかがいましたが、イベントをやっておられたみたいで、きな粉餅とあんこのお餅、豚汁を頂きました。神社の事は全然分かりません!笑。
7/14、夏越の祓えをやってました。植物園の裏山まで敷地で、由緒のある神社です。
駐車場に行くまでの坂が急すぎる。
今年生矢神社の秋祭りは行われるのでしょうか?樽御輿から子供屋台そして大人の屋台を担いで、山で美味しい弁当を食べて、夜になれば、提灯に灯りを灯して屋台を先導するのが楽しみでした。コーヒー牛乳も菓子パンも食べ放題❗懐かしい思い出です。
結構キレイで立派な神社です。
当社は行箭社として神功皇后元年9月三韓征伐の御首途播磨の湊に御船を掛けられた時、麻生山より事始の箭を射させた。それが落ちた所に立ち、社となったことから、欺号名が付いた。後白河天皇の御宇保元3年(1158)、「播磨守平清盛の崇敬祭祀している守護の明神大巳貴命の神霊」とあり、清盛は厳島神社造営時、しばしばこの地を往来して、たまたま悪夢を感じて神勅渾心に徹し、この神を三和山に崇祀し、生屋大明神の御号を奉りて子孫繁栄を祈った。その後、清盛16世紀の孫、関三朗兵衛永重が飯田に住み、我祖の宮として寛永19年(1642)に営殿修復し、領主松平下総主清匡も深く尊崇し、正保3年(1646)、神領田2石4斗2升を寄進した。
主祭神:大国主神配祀神:須世理姫命江戸時代の地誌、「播磨鑑」によれば、当社は行箭社として神功皇后元年9月、三韓征伐の首途に播磨の湊に御船を掛けられた時、麻生山より事始の箭を射させました。それが落ちた所に立ち、社となったことから欺号名が付いたとの事です。さらに保元3年(1158)、播磨守であった平清盛の崇敬している守護の明神は大巳貴命の神霊とあり、平清盛は厳島神社を造営時にしばしばこの地を往来して、この神を三和山に崇祀し、生屋大明神の御号を奉りて子孫繁栄を祈りました。拝:2020/08/24
創建年代は不明ながら由緒ある神社のようです兵庫県にゆかりがある平清盛も厳島神社参拝の道中によく立ち寄ったとの事です昭和16年12月中島彌太郎納奉納大東亜宣戦紀念社号標から鳥居までの距離が離れているのは昭和20年7月3日まで境内に手柄小学校があった名残です姫路空襲で小学校は焼けましたが神社は無事だったとの事です境内には陸軍大将宇垣一成揮毫忠魂碑、日露戦争凱旋紀念奉納石燈籠、大正天皇御大典記念石燈籠等の石造物がありますよ拝殿には江戸時代末期から明治大正年代の絵馬が飾られています。
名前 |
生矢神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
079-297-6749 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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遅めの初詣に行きました。植物園の有料駐車場に車を停めて行きましたが、参拝客がほとんどおらず、境内に車を停められたみたいでした。元日ならもっと人出があったのでしょうか…?