名前 |
自楽園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0952-37-6129 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
周囲に市民が憩える場として、グラウンドや遊歩道が作られ、公園の周囲と庭園内を散策できます。無料駐車場がありますが、歩行者が多いので通行に気を使います。自楽園には多くの石灯篭が設えられています。訪れた日は近隣の小学生が写生会で思い思いの場所で絵をかいていました。二代藩主鍋島直能は隠居後に星巖老居士と称し、天和四年(1684)、水石園林をあしらった庭園を桜岡の南麓に造りました。温公の「独楽園」に模して、庭園に「自楽園」と名付けました。直能は石井佐助に命じて「自楽園並序」をつくらせ、その絵図には園内に観魚亭、玉成軒、盛岡館、威臨閣、碧瓦楼、拾葉庵、風光舎などの建物が描かれています。明治六年一月の「太政官達第十六号」によって公園地取調(公園開設)が行われ、太政官達に応じて明治八年八月に、公園は「万民偕楽」の地として、小城町より桜岡の公園指定を伺い、同年十一月に桜岡公園として認可されました。桜岡の多数の桜木が基本となり、二代藩主鍋島直能の時代に木下順庵の「桜岡記」、林春斎・鳳岡父子をはじめとした当時の儒者の「桜岡十境」「桜岡二十景」の詩が作られ、ついに後西天皇の御製と道晃法親王以下公卿等の詩歌を受けた歴史が許可の根拠となり、県下で最も早い公園認可となりました。桜岡の頂上に御製碑を建設し、桜樹の維持と公園の管理が小城町に義務づけられた。昭和二十六年(1951)、桜岡公園の南方、庭園「自楽園」の部分が、鍋島家から寄贈を受け、併せて「小城公園」と呼ばれ、今日に至っています。(2018年10月10日)