田辺海岸の秘宝、磯間岩陰遺跡!
磯間岩陰遺跡の特徴
磯間岩陰遺跡は、海岸に突き出た丘陵の崖下に位置しています。
遺跡の幅は約23m、奥行きは5mと小規模です。
周辺は民家が多く、訪問時には配慮が必要です。
土曜日天気が良かったのでふらっと寄ってみました。住宅街を入っていくので、ちょっと分かり難いかも?近場でこんな景気が観られるなんて・・・
民家の間を歩いていきます😓好きな人はいいとは思います。
車では入れません。民家の路地を抜けて行くので、大人数で行くのはちょっと住民の方々の迷惑かと思います。
知らなかった場所なんですが、程々に良かったですね。
民家があり、生活感あるところを入っていきます。そして、金網を開けて中に入って行きます。どうやら、昔の人の墓のようです。おそらく、見つかっては いませんが、周囲にもお墓があるでしょうね?岩が崩れてくる可能性がありますから、気をつけてください。
磯間岩陰遺跡(いそまいわかげいせき)海岸に突き出た丘陵の崖下にある遺跡(幅約23m、奥行き5m)。古墳時代中期末から後期(5世紀末から6世紀後半)にかけての石室墓。第1号石室の被葬者は漁労集団の首長とその一族と考えられている。u003cコメントu003eせっかくの国指定史跡なんだから、もう少し見栄えするように整備した方がよいのでは?以下、解説板より。「磯間岩陰遺跡は、独立丘陵西側崖下の前面幅23m、奥行き約5mの海食岩陰を利用した古墳時代を中心とした遺跡である。昭和44年11月、岩陰周辺で住宅工事が行なわれたとき、人骨や須恵器(すえき)が発見されたのが発端となり、昭和45年3月に田辺市教育委員会が帝塚山大学考古学研究室委託して発掘調査を行った。調査の結果、古墳時代中期末から後期(5世紀末から6世紀後半)にかけてつくられた竪穴式石室の系統を引く石室8室と、そこに埋葬された人骨13体が発見された。一部の石室には合葬または追葬が行なわれていた。また、奈良時代から鎌倉時代にかけてと考えられている火葬跡も5ヶ所発見されている。副葬品には、直弧文(ちよっこもん)が施された鹿角装の鉄剣、鳴鏑(なりかぶら)、笄型(こうがい)やY字型などの鹿角製品、組合せ式釣針などの漁撈関係品、須恵器も多量に見つかっており、埋葬された人々の生活の様子がうかがい知ることができ、地方の葬制を知る貴重な遺跡である。出土品のうち、古墳時代の鉄剣、鹿角製品、土器類などは昭和63年6月6日に国の重要文化財に指定された。」
小さな看板が目印です。駐車スペースはありません。民家の狭い路地を歩いて入っていくので迷惑にならないように気をつけなければならないです。
ガイドブックなどでは必ず取り上げられていますが、実物はこんなもの?というくらい拍子抜けしました。
入り口の扉は見学者が開けて良いそうですが、周辺は住宅なので充分な配慮が必要です。
名前 |
磯間岩陰遺跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.1 |
周辺のオススメ

日経新聞の記事より田辺海岸で作られた鹿の骨の釣り針が三浦半島で見つかっている。また磯間岩陰遺蹟で葬られた男性の親子の埋葬方法が三浦半島と同じ方法だった。膝を曲げ開いた形で置かれ、石室の底には貝殻とサンゴが敷かれていて、田辺のこの地域の女性の血族の墓(足はまっすぐ伸ばして置かれる)にはない特徴だ。当時墓には同じ血族が葬られるが、田辺と三浦半島の二つの地域が交流があったことが解るという。