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名前 |
馬見塚神明社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
馬見塚神明社(まみづかしんめいしゃ)主祭神 大日孁貴命合祀神 大己貴命 倉稲魂命 健御名方命境内社 石碑(伊奈利神社・八幡神社・天満宮社) 宇賀御魂命 三峯神社 塞神石碑由緒鎮座地馬見塚の地名の由来は、「風土記稿」によると、村内東部の御堂塚付近に昔、馬市が立ち、塚の上から馬の良否を見分けたことによるといわれています。また、「成田分限帳」に記載されている、馬見塚三河を名乗る武士は、当地の住人であったであろうといわれています。当神社の創立は「明細帳」には「古老ノ口碑ニ拠ルニ往古伊勢神宮ノ分霊ヲ這ノ地二勧請ナシタルモノナリシト当時氏子凡三拾余戸ニテアリシカ自然一村挙テ崇敬スル所トナリ依テ当村ノ鎮守ト尊崇セリ」とあります。往時の別当は、真言宗薬王山善林寺西善院が務めていました。明治初めの神仏分離により寺の管理を離れ、明治四年(1871)に村社となりました。明治四十二年(1909)には、同村同太字字書際の久伊豆社・諏訪社・稲荷社が本殿に合祀されました。当地は、元は上・下に分かれ、上の鎮守が当神社であり、下の鎮守が久伊豆社でした。神明造りの本殿は昭和四十二年(1967)の再建です。内陣には「稲荷大神 久伊豆大神 諏訪大神」と「神明大神」と記された神璽二体と祭神名不詳の神璽一体を祀っています。神璽の墨書に「明治二己巳年(1869)五月廿日 神社混淆御役人共忍表岡村覚太郎与神人罷越御幣引替申候 御幣箱大工巳之助作之」とあり、神仏分離当時の様子を窺い知ることができます。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」参照)社殿左横には、御神木の大欅が聳えています。幹の中心が樹洞となっているため、重い樹体を支える根本付近が巨大な姿となっています。神明社の大祭では、行田市指定無形民俗文化財「馬見塚の獅子舞」が奉納されています。起源については不詳ですが、獅子用の古い太鼓の胴内に文化四年(1821)の墨書があり、江戸時代の馬見塚村の村社であった神明社に二百五十年以上前から奉納されていると言われています。(「行田市公式HP」参照)