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名前 |
観音堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
玄照院(源照院とも)跡の観音堂。日光市今市の如来寺の末寺で、頓誉上人の開基と伝わるが現在は無住となり、墓地と観音堂が残っている。如来寺8世の住職、教蓮社頓誉上人は豊富な知識を持ったたいへん立派な僧で、信徒たちから慕われた人物であった。ある時、日光山の貫主であった天海は如来寺を浄土宗から天台宗に改宗させようと目論み、修験者たちを集めて如来寺そばの宝林院に遣わし、難しい議論を投げかけて頓誉上人をやり込めようとしたが、知識豊かな頓誉上人は逆に修験者たちをやり込め、如来寺は改宗の難を免れた。その後、年老いた頓誉上人は室瀬に玄照院を立てそこで隠居生活を送ったが、寛永12年(1635)4月28日に亡くなった。