妙見山の静けさに、心安らぐ。
妙見神社の特徴
鳴門の妙見山上に鎮座し、厳かな雰囲気が漂う神社です。
撫養城跡のすぐ近くに位置し、歴史が感じられる場所です。
可愛い狛犬が迎えてくれる高台の隠れ家的な神社です。
《2025/4/5(土)》鳴門の妙見山(みょうけんさん)の上にある静かで厳かな雰囲気のある神社⛩️ほぼすぐ隣には撫養城跡(むやじょうあと)もあります。妙見山公園駐車場の階段を登り多少の登り坂を駆け上がる、または妙見山正面入口の鳥居の石段(何段あるかは?)を登ると神社にたどり着けます。正面から徒歩で行く場合、石段は結構あるので気合いと根性が必要💪ここは桜シーズンになると満開のソメイヨシノが境内を彩り地元でも著名な花見スポットとなります😄🌸いつも妙見山公園に花見に行く時は、ここと撫養城跡とをセットで満喫してます。皆様も妙見山に花見で訪れる時は妙見神社にも是非お立ち寄りください😄🌸✨✨✨✨✨【備考】① 花見シーズンは撫養城跡と一緒に訪れることをお勧め🌸🌸👍👍②駐車場:妙見山公園の無料駐車場(50〜60台?)が利用可能🉑※花見シーズンの週末は混雑必須⚠️30分〜1時間の待機が必要😅③トイレ:神社内には無し。妙見山公園駐車場にトイレあり(古いので要注意😅)土日祝ならトリーデ鳴門(※)にあるトイレ利用をお勧めします。※開館→9:00〜16:00④妙見山公園駐車場から神社までの階段が結構あるので足腰に自信の無い方は厳しいと思います⚠️石段から行く場合も同様です⚠️⑤神社内での飲食厳禁🈲
撫養城城址のすぐ近くに鎮座されています 御由緒書きより 平安時代末期より中国より伝わった北辰信仰と結びついて妙見社として祀られるようになった。1830年(天保元年)、撫養城の城主であった四宮加賀守の子孫と撫養町林崎郷の近藤利兵衛がこの城址に妙見神社として再建した[1]。妙見神社(徳島県)
Beautiful and quiet shrine next to the castle. It was a weekday morning and there was absolutely no one around all the way when we climbed up the hill to this shrine (and castle).
隠れ家的な神社という感じです。看板とかがなく見つけるのに少し苦労しました。
高台に立派な神社があります。日によって行事などおこなっている感じなので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
狛犬がとても可愛いいです。桜が咲いたら、綺麗だろうと思います。
ここに参拝したのは生まれて始めです。
階段を駆け上がるととても見晴らしが良いです。
大永3年(1523)、撫養に没した室町幕府十代将軍足利義稙が、以前に周防の大内家に身を寄せていた時に受けた妙見尊星をこの山に勧請したのが起源とされています(神社縁記) その後、四宮加賀守が城を構えたが、天正10年(1582)、長宗我部元親に攻められて落城し、社殿も兵火にかかりました。天正13年(1585)、蜂須賀家政が阿波に入国し、ここに撫養城を築き益田内膳に守らせたましたが、一国一城の制により破壊されました。それから200年近く経った江戸末期の天保元年(1830)、旧城主の子孫四宮三郎左エ門や林崎浦の豪商近藤利兵衛らがその城跡にこの妙見神社を再建しました。ここの大鳥居の高さ7m、柱間5m、花崗岩づくりの大鳥居です。額束に「妙見宮」、右柱には「天下泰平」、「国土安穏」、左柱に「海上無難」、「諸願成就」とあり、裏面右柱に願主江州千枝、藤野四郎兵衛、奥州松前、藤野喜兵衛と刻まれ。發願者は近藤利兵衛とあります。近藤利兵衛は徳島市川内町の出身で、林崎浦へ来て諸肥物問屋頭を勤めた豪商でした。彼の持ち舟は北前航路に乗り入れ、藍の相場を左右したといいます。藤野喜兵衛は近江枝村生まれ。北海道余市で「又十」の商号をもって漁業、航海業で財を築きました。四郎兵衛はその子で、江差をはじめ色丹、エトロフにまで開拓の手を伸ばしまし、松前藩の信任厚く、苗字帯刀を許されています。妙見山大鳥居は、神社の完成した翌年のに寄進されていることになります。
名前 |
妙見神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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上まで上がると神社があります。