八溝山頂の絶景と歴史。
八溝嶺神社の特徴
茨城県最高峰の八溝山(1022m)頂上に鎮座する神社です。
風化した狛犬が見られる独特な雰囲気のある場所です。
昭和式のトイレがあるため、訪問時はご注意くださいませ。
八溝嶺神社(やみぞみねじんじゃ)。茨城県久慈郡大子町上野宮。式内社(小)、旧郷社。【祭神】大己貴命 事代主命資料によると、一説には、第四十五代聖武天皇の頃、伝教大師が湯殿山修行の時、南方の八溝山を見渡せば、奇瑞雲が現れれたので山頂に登り、山王二荒両社を建立したのが始め。社伝によると、景行天皇四十年、日本武尊が八溝山に立てこもる賊を討ち、大己貴命・事代主命を祀ったのが当社の起源。後、延暦十六年(797)、坂上田村麻呂が八溝山に陣を置き、神の御加護により大勝したので宝剣を納めた。さらに、大同二年(807)、弘法大師がこの地を訪れ神殿を修復して霊地と定め、仁寿二年(853)、慈覚大師が山に登って修復事業を行った。かっては八溝山から金が産出していたらしく、承和三年(836)、山中より採取された砂金が献上され遣唐使派遣の資金となったという。室町以降は茨城県は常陸国だが、古代においては陸奥国に属しており、当社は、陸奥国式内社・八溝嶺神社に比定されている神社。以前は広い信仰圏を持ち、白河郷北郷八十六ヶ村と南郷五十八ヶ村(福島県)、那須郡二百六十ヶ村(栃木県)、依上・保内郷四十二ヶ村(茨城県)が氏子範囲であった。現在は茨城県側の人々によって祭祀が行われているらしい。旧暦四月十七日に行われる梵天まつりでは、梵天(金紙・銀紙を張り付けた5・6mの飾り付けられた鉾)が奉納される。とあります。
八溝山の山頂直下の歴史ある神社。「やみぞみねじんじゃ」と呼ぶそうです。静かな山の山頂にあり無人の神社です。御朱印は5月3日の梵天祭の時のみ社務所が開きいただけるそうです。駐車場はすぐ下の駐車スペースと徒歩10分位の富士見ヶ丘にスペースがあります。
日本三百名山で茨城県最高峰の八溝山山頂にひっそりと鎮座しています⛩️🏯八溝山には、かつて金鉱山があったといわれており、836年(承和3年)に遣唐使派遣の資金調達のために神に祈ったところ、通常の数倍の金を産出したという。この功により祭神に「従五位下勲十等八溝黄金神」の称号が与えられています😄江戸時代には、水戸藩の保護を受け、社領20石が与えられています😊
車でも来ることができますが冬は雪が降るので厳しいです。山頂にある厳かな神社です。
県内最高峰の八溝山頂に鎮座されています。創建は何と110年‼️ 父でもある景行天皇の命で、東征に出向いた日本武尊が、大己貴命と事代主命を祀ったのが始まりと云われています。境内には神仏習合を感じさせる石碑等もあり、拝殿横の岩乗り狛犬が何とも言えない雰囲気を漂わせていました。(^o^)
茨城県と栃木県、そして福島県に跨って聳える八溝山(1022m)山頂にあります。山頂は、茨城県と福島県の境界ですが、当社境内は茨城県側にあり、住所も茨城県ということです。
風雨にさらされたのか風化が激しい狛犬さん。当時は恰好良いお姿だったのかな。長年のおつとめご苦労様です。
大己貴命と事代主命を御祭神とし、茨木県最高峰(標高1022m)の八溝山頂に鎮座する神社で、社伝によると景行天皇40(110)年、日本武尊が東征の際に八溝山に立てこもる賊を打ち払い、2神を祀ったことが創建とされます。その後、大同2(807)年に弘法大師・空海が来山し本殿を修復して霊場と定め、仁寿2(853)年に慈覚大師・円仁が来山し社殿を修復しました。平日の早朝(6:00~6:15)を狙い、表参道の鳥居(八溝登山口/一の鳥居)からここまで対向車ゼロは想定内でしたが、山頂が濃霧とは想定外でした。二の鳥居前の路肩スペースに駐車可能です。
八溝山はかつて日高見山と呼ばれていました。物部氏が久自国造として土着の地名が大子町より見られます。 坂上田村麻呂や那須氏が後に賊退治の伝承がありますが、討伐されたのは物部氏ではないかと思ってしまいます。八溝山を中心に王国があったと指摘されることもあります。
| 名前 |
八溝嶺神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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八溝山頂上に鎮座する神社を参拝させて頂きました。近くの展望台からの景色は素晴らしいです。