八溝山頂の絶景と神秘の魅力を体感!
八溝嶺神社の特徴
茨城県最高峰の八溝山(1022m)頂上に鎮座する神社です。
風化した狛犬が見られる独特な雰囲気のある場所です。
昭和式のトイレがあるため、訪問時はご注意くださいませ。
車でも来ることができますが冬は雪が降るので厳しいです。山頂にある厳かな神社です。
県内最高峰の八溝山頂に鎮座されています。創建は何と110年‼️ 父でもある景行天皇の命で、東征に出向いた日本武尊が、大己貴命と事代主命を祀ったのが始まりと云われています。境内には神仏習合を感じさせる石碑等もあり、拝殿横の岩乗り狛犬が何とも言えない雰囲気を漂わせていました。(^o^)
茨城県と栃木県、そして福島県に跨って聳える八溝山(1022m)山頂にあります。山頂は、茨城県と福島県の境界ですが、当社境内は茨城県側にあり、住所も茨城県ということです。
風雨にさらされたのか風化が激しい狛犬さん。当時は恰好良いお姿だったのかな。長年のおつとめご苦労様です。
大己貴命と事代主命を御祭神とし、茨木県最高峰(標高1022m)の八溝山頂に鎮座する神社で、社伝によると景行天皇40(110)年、日本武尊が東征の際に八溝山に立てこもる賊を打ち払い、2神を祀ったことが創建とされます。その後、大同2(807)年に弘法大師・空海が来山し本殿を修復して霊場と定め、仁寿2(853)年に慈覚大師・円仁が来山し社殿を修復しました。平日の早朝(6:00~6:15)を狙い、表参道の鳥居(八溝登山口/一の鳥居)からここまで対向車ゼロは想定内でしたが、山頂が濃霧とは想定外でした。二の鳥居前の路肩スペースに駐車可能です。
八溝山はかつて日高見山と呼ばれていました。物部氏が久自国造として土着の地名が大子町より見られます。 坂上田村麻呂や那須氏が後に賊退治の伝承がありますが、討伐されたのは物部氏ではないかと思ってしまいます。八溝山を中心に王国があったと指摘されることもあります。
山岳信仰の山だそうですが、人里離れたこんな山頂に、よく建てたものです。水戸天狗党の田中愿蔵が立て籠った神社としても有名で、一度行きたかった神社でした。バイクで登っても相当な山奥。150年ほど昔、敗走の体で徒歩で登頂した武士たちに想いを馳せながら、お詣りしました。
令和3年1月3日 八溝嶺神社参拝。山頂付近道路圧雪部分あり走行注意‼️ 混雑なし。八溝山公園線道路は通行止め‼️
御祭神は大己貴命・事代主命。創建は景行天皇40(110)年日本武尊が東征の際に八溝の賊を打ち払い,社を祀ったのが始まり。延暦16(797)年坂上田村麻呂が安倍高麿(悪路王)の軍を撃破し,当社に宝剣を奉納。大同2(807)に空海が神殿を修営。天喜5(1057)年源頼義東征の折,宝刀を奉納・・・(省略)と書ききれないほどの英傑・歴史的偉人と交差する格式高き大社です。延喜式内社(小社)「陸奥国白河郡 八溝嶺神社」ですが,この地が常陸国になったのが佐竹氏以降の時代ですので,延喜式(927年)の頃は当然陸奥国だったわけです。茨城県最高峰の標高1,021.8mの八溝山頂に鎮座していらっしゃる社ですので,現代は車で登れますが,その昔の参詣はさぞ大変なことだったでしょう。表参道入口となる八溝参道口には一の大鳥居があり,そこから狭い林道をくねくね車で20分弱で山頂の駐車場に到着します。そこからすぐの二の鳥居脇の白馬(神馬)を見つつ少し階段を登ると,左手に社務所,正面に社殿が鎮座していらっしゃいました。社殿左上方向にはお城型「八溝山展望台」が少し違和感を感じます。社殿は明治17年の改築だそうですが,不思議とそこまでの古さは感じられないのは,その後も度々の補修がされているのでしょう。
| 名前 |
八溝嶺神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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日本三百名山で茨城県最高峰の八溝山山頂にひっそりと鎮座しています⛩️🏯八溝山には、かつて金鉱山があったといわれており、836年(承和3年)に遣唐使派遣の資金調達のために神に祈ったところ、通常の数倍の金を産出したという。この功により祭神に「従五位下勲十等八溝黄金神」の称号が与えられています😄江戸時代には、水戸藩の保護を受け、社領20石が与えられています😊